メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

産廃屋の思い出/(2)扉に穴

《2008年7月の記事を書き直して再録》

 産廃屋の思い出は、なにしろ随分前の話だから、一つ一つの出来事は鮮明に覚えているけれど、順序や時間の経過などが殆ど記憶に残っていない。

それで、これから紹介するノダさんという人が、いつ頃入って来たのか良く思い出せないものの、この人も最初はやたらと腰が低く、私より少なくとも15歳ぐらいは年長と思えるのに、相部屋となった私のことを「先輩、先輩」と呼び、「いろいろ教えてください」なんて挨拶していた。

大きな体をしていたが、髪の毛をきちんと七三に分け、地味な格好をしていたから、『まあ普通の人だろうな』と思った。

一週間ぐらいして、ノダさんが私に、「先輩、寮の風呂場は寒くて堪らんのですが、この辺に銭湯はありませんかね?」と訊いたけれど、これも至極当然な問いだから、「じゃあ、今日現場から早く戻れたら、一緒に行きましょう」と快く答えた。

寮の風呂場は、プレハブの隣に建てられた掘っ立て小屋で、広さが八畳ほどの土間にバスタブを置き、その前にスノコを敷いただけの簡単なものだから、冬は冷たい隙間風がぴゅーぴゅー入って来る。

風呂場には洗濯機もあって、これを使う為に出入りする人が、扉を開け放ったりすれば、それこそ冷気がどっと入り込み、寒いなんてものではなかった。

私は冬場にこの風呂を使う場合、ブルブル震えながら体を洗い、バスタブに入ると深呼吸してから、頭まで湯に沈めて暫くじっとしていた。

ある冬の晩、そうやってバスタブの中に潜っていたところ、扉を開けて誰か入って来たようだけれど、千昌男の歌を口ずさんでいるから、それが岩手県出身のサトウさんであることは、顔を出して見なくても解る。

湯の中で、サトウさんが歌を口ずさみながら洗濯機の所へ行った気配を感じていると、突然、歌が止み、スノコを荒々しく踏みつける音がしたかと思ったら、私の頭は鷲づかみにされて湯の中から引きずり出され、目を開けると、頭を鷲づかみにしたままのサトウさんが凄まじい形相で、何事か叫んでいる。

私が惚けた声で、「すんません。寒いもんで、頭から暖まっていたんですよ」と言ったら、サトウさんは手を離し、「アホ!」と言い残して、プリプリしながら洗濯機の方へ行ってしまった。

ノダさんと一緒に銭湯へ行く話だった。銭湯へ行って、服を脱いだら、ノダさんは背中一面に刺青を入れていたのである。

その後も何度か同様の場面に出くわしたものの、こういう時に、なんと挨拶して良いものやら、今でも良く解らない。しかし、いずれの場合も、その場で刺青を話題にしたことはなかったと思う。

暫くすると、ノダさんは頭を坊主刈りにして、なんとなくそれらしく見えてきたけれど、ここへ働きに来る数ヶ月前までは刑務所に入っていて、その前は東北地方でヤクザをやっていたそうだ。アワビの売買に絡むシノギで大分稼いだことがあると話していた。

その怪力は、コジマさんやナカダさん級で、4tダンプのタイヤを座布団でも放るみたいに投げ飛ばしていたから、小柄な自称ヤクザのクニサダさんとは、ヤクザらしさが違っていたかもしれない。

例の「犬殺し事件」から大分たったある晩、私たちの部屋へ来て酒を飲んでいたクニサダさんがノダさんと話し始め、何処そこの組に兄弟分がいるとか、いないとか言う下らない話から言い争いになると、いつの間にか興奮の極に達してしまったノダさんは、突然一升瓶を手に立ち上がり、「勝負しろ!」とか何とか吼えたけれど、クニサダさんの方を見たら、完全に腰を抜かしていて、震えながらノダさんを見上げるだけで、何か言い返すこともできない有様だった。

私たちが止めに入ると、ノダさんは捨て台詞を残して自分の部屋から出て行き、後に残ったクニサダさんは呆然として口も利けず、「ノダさん戻って来る前に帰った方が良いんじゃないの」と促されて自分の部屋へ戻り、それから幾らも経たない内に会社を辞めて去って行った。

日月がどれくらい経過したものか良く覚えていないが、その後のことである。

ある晩、疲れていたので、10時ぐらいに早々と床についた私が、ふと目を覚ますと、部屋の明かりは点いたままで、部屋の中ほどにノダさんが仁王立ちし、「アチョー!」といった奇声をあげながら、空手の形みたいなものを披露している。

薬が切れたのか、気が変になってしまったのか、とても尋常な様子には思えない。あたりを窺うと、部屋には他に誰もいないようであり、何時なのか良く解らなかったけれど、12時ぐらいだったのではないだろうか。

そっと逃げ出すにしても、ノダさんの前を通らなければ出口の扉まで行き着けないし、何か声を掛けられる状態でもなさそうだし、『これは狸寝入りしかない』と考えていたら、疲れていたから直にまた眠り込んでしまった。

翌朝、いつも通り、4時半ぐらいに目を覚まし、作業着を着て薄暗がりの中を出口へ向かい、扉を開けようとしたら、そのベニヤ板を張り合わせた厚さ3~4cmの扉の中ほどに直径30cmぐらいの大きな穴が開いていた。

『何だこれ!?』と思ってから、やっと昨晩の出来事を思い出し、部屋の中を振り返って見たものの、ノダさんがそこにいたかどうかは確認できなかった。

廊下へ出て良く見ると、廊下も所々が穴だらけになっていて、どうやら昨晩、ノダさんは大分暴れたようである。でも、私はこれについて深く考えることもなく、何事もなかったかのようにそのまま仕事に出掛けた。 まあ、顔面に穴を開けられなくて良かったと思う。

ノダさんも、その日だったか、その翌日だったか、会社を辞めて寮から出て行った。

merhaba-ajansi.hatenablog.com