メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラム主義の終焉

昨年の夏頃、ザマン紙のコラムニストらを中心に、イスラム主義(イスラムジュルック)に関する論争が繰り広げられていて、私はこれをザマン紙のエティエン・マフチュプヤン氏のコラムを通して知ったけれど、結局、マフチュプヤン氏のコラム以外には殆ど目を通さなかった。
マフチュプヤン氏のコラムだけでも、“イスラム主義の世俗化”をテーマに、11回ほど続いたので、もう一度最初から読み直すため、わざわざインターネットカフェに行ってプリントアウトして来た。これは今でも本棚の隅に置いてある。
もともとこの論争は、やはりザマン紙のコラムニストであるミュムタゼル・テュルコネ氏とアリ・ブラチ氏の間で始まったらしい。テュルコネ氏の主張は、「イスラム主義はイデオロギーとして既に終わっている」という刺激的なもので、これに対して自他共に認めるイスラム主義者のアリ・ブラチ氏が反論を加えていったようである。
論争が一段落つくと、テュルコネ氏は、これを基にして「誕生から死に至るまでのイスラム主義」という著作を、昨年の11月に出版しているけれど、私はこれをやっと今年の7月になってから購入して読んだ。
イスラム主義の終焉とは、大雑把に言えば、元来、既存の体制に対する抵抗のイデオロギーとして始まった“イスラム主義”は、これを旗印にしていた人々が政権に就いた為に、その意義を失ってしまったという趣旨で、マフチュプヤン氏の“イスラム主義の世俗化”にも同様の趣旨が説かれていた。
テュルコネ氏の「誕生から死に至るまでのイスラム主義」には、イスラム主義がどのような背景のもとに生まれて展開して行ったのかが、私の如き門外漢にも解るように記されていて、非常に興味深かった。
イスラム主義を創始した人々は、例外なく西欧で教育を受けたインテリであり、西欧のイデオロギーを下敷きにして“イスラム主義”というイデオロギーを作り出した・・・といった説明は、“イスラム主義”と言われてもチンプンカンプンだった私には、とても新鮮で、“目から鱗が落ちる”ような気がした。
印象的だった部分を拙訳して以下に引用する。
イスラム主義者のプログラムは、国家を、政治システムをイスラム化させることである。しかし、イスラム化されるはずの国家もまた新しい現象だ。イスラム世界における国家の問題は、彼らの前に姿を現した国民国家植民地主義、そして西欧との接触により生まれた全く新しい現象なのである。イスラム主義者の多くは、1648年のウェストファリア条約以降の国民国家の秩序の中で思想を展開し、この枠組みに収まるイスラム国家を求めていることに気がついていなかった」
また、エジプトのサイイド・クトゥブによるラディカルなイスラム主義が、トルコには制限された影響しか残せなかった要因について、「トルコでは如何なるムスリムも、西欧に対して、あれほど打ちひしがれた感覚を持っていなかった」と述べているけれど、この観察も実に興味深く思えた。

「誕生から死に至るまでのイスラム主義」