メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ムスタファの次女の寮探し

先週の木曜、ルレブルガスから友人のムスタファが、次女を連れて、日帰りでイスタンブールに来た。イスタンブール大学の文学部に合格した次女の為に、学生寮を探すのが目的だった。

ルレブルガスは、イスタンブールから2~3時間の所だけれど、ムスタファがイスタンブールまで出て来ることは殆どない。休暇もなかなか取れないようだし、経済的な余裕もないから、物見遊山には来られないのだろう。

ムスタファとは、91年にイズミル学生寮で知り合った。彼は電気の専門学校に通う傍ら、寮の雑用も引き受けていたので、寮費は免除されていた。私は初めて寮を訪れた時、ムスタファと話して入寮を決めたのだ。

その後、ムスタファは、郷里のアダナには帰らず、姉夫婦を頼ってルレブルガスに落ち着くと、この街の電気屋さんで修理工の職を得て、地元の女性と結婚し、娘を2人もうけた。しかし、2005年頃には、トルコでも電化製品の修理などという仕事はなくなり、以来飲食店等で働きながら家族を養って来たのである。

生活は楽じゃないと思う。遠いアダナに帰省するのは5年に一度ぐらい、代わりにお母さんが時々アダナからやって来るらしい。

7月、次女のイスタンブール大学合格を電話で知らせて来たムスタファの声は多少上擦っていた。「下の娘は勉強が出来る」と随分前から期待していたから、とても嬉しかったに違いない。でも、これからが大変だ。

先週の木曜は、私も一緒に三つの学生寮を回って来た。先ず、ベヤズィットのキャンパスに最も近いラーレリで、2ヶ所訪ねて見たが、一つは既に空きがなかった。

もう一方の寮は、キャンパスの前にもスタンドを設けて勧誘していたけれど、このスタンドに立っていた4人の女性は、1人を除いてスカーフを被っていたし、寮で案内に携わる女性たちも、やはりその殆どがスカーフを被っていた。

しかし、それよりも、寮を囲む壁の上に張り巡らされている有刺鉄線が目を引く。ラーレリは、派手な格好をした東欧の女性たちが多数往来し、お世辞にも風紀の良い街とは言えない。寮はもちろんイスラム関連の団体が運営しているはずだが、何故、こんな街に寮を建てたのだろう?

信仰に篤いムスタファは、有刺鉄線を見ても、スカーフを被った女性たちの立ち居振る舞いに安心したようだけれど、次女がこの寮を気に入らなかったのは明らかだった。

それから、キャンパス前のスタンドにパンフレットだけ置いていた寮を見に行った。この寮はファティフ・モスクの近くにあり、歩いて20分ぐらい掛かったと思う。ファティフは非常にイスラム色の強い街だが、パンフレットには「教団等とは一切関係がありません」と明記されていた。

実際、スカーフなど被っていないモダンな雰囲気の舎監が案内してくれた。街の“風紀”は申し分ないし、寮の部屋も広く、ここなら良さそうに思えたが、寮費は朝食だけ付いて月に500リラとかなり高かった。

舎監の女性に、ムスタファと何処で知り合ったのか訊かれたので、「イズミル学生寮です」と答え、ムスタファを指差しながら、「この男を信用して入寮を決めたんですが、どうやら騙されたようでした」と説明した。これに、ムスタファがすかさず「その前に私が騙されていたんですね」と言い添え、皆で大笑いした。舎監の女性も笑っていた。

舎監の女性と少し距離が開くと、ムスタファは「マコト、セマさん覚えているか? この人、雰囲気が少しセマさんに似ているな」と私に耳打ちした。セマさんは、イズミル学生寮の経営者の夫人だった。とてもチャーミングなうえ、弁舌も巧みで、彼女の話には説得力が感じられた。寮生たちは皆、「彼女も悪徳な亭主に騙されているんだ」と言い、彼女を責める者はいなかった。

私はこの日、アジア側で友人と会う約束があったので、そのファティフの寮を出た所で、ムスタファ父娘と別れた。ムスタファは、もう一つ、ラーレリの“イスラム寮”と同じ系列という、バスターミナルの近くにある寮を見てから、ルレブルガスに帰ると話していたが、結局、その“イスラム寮”に決めたそうだ。

今日、ネットで調べてみたところ、その寮はどうやら与党AKPに近いとされる“ミッリ・ギョルシュ”の系統らしい。まあ、父ムスタファとしては、そういう寮のほうが安心だし、なにより寮費が安いのは助かる。次女も決して信心がないほうではないから、他の寮生たちとも仲良くやっていけるだろう。

私がイスタンブールで3ヵ月過ごした“トラブゾン学生寮”は、やはりイスラム基金によって運営されていたが、寮費が安いから入寮していただけで、あまり信心のない学生たちもいた。そんな学生たちとビールを飲みに行ったりしたものだ。“イスラム寮”とか言っても、それほど心配する必要はないと思う。

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一昨年、母とムスタファを訪ねた時の写真。ムスタファ夫婦、私の母、そして次女。