メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールで成功したマルディン出身のクルド人

 一昨日、イスタンブール観光のメッカとなっているスルタンアフメット界隈を歩いていて、馴染みのレストランの前を通り掛ったら、何処かで会ったことのあるような若者に声を掛けられたので良く見ると、そこの経営者の息子でした。4年ぐらい前、父親の経営するレストランへ良く遊びに来ていた彼と度々会っていたけれど、当時、中学生だった少年が見違えるほど大きくなっていたので、一瞬誰だか解らなかったのです。

レストランの経営者アブドゥルラーマンさんは、南東部のマルディン出身のクルド人で、92年に私が始めてイスタンブールへやって来た頃は、今のレストランの近くで雑貨と食料品を売る小さな店を一人でやっていました。朝早くから夜遅くまで店を開けていたから、私も時々そこで買い物したけれど、その界隈の安宿に宿泊していた日本人バックパッカーたちは、「あの親爺、必ずボルぜ」と噂していたものです。

それが、98年に再びトルコへ舞い戻ってきた頃には、店を大きくして従業員も雇い、暫くするとレストランの経営にも乗り出し、今では外国人ツーリスト用のホテルから旅行代理店に至るまで手広く事業を展開しています。

それでも、なかなか初心を忘れないところがあって、レストランも朝早くから営業し、時には自ら朝食のサービスに努めたりしていました。しかし、周囲の人たちは、やっかみもあるのか、今もって余り良い噂はしていません。一度は、レストランの前で良からぬ男から因縁をつけられた上に、ピストルで撃たれたこともあったそうです。幸い、銃弾は彼の足に当たっただけで、翌日も足を引き摺りながら店に出て来たというから、やはり並の根性ではないのでしょう。

それに、根性ばかりでなく、愛想も人一倍良くて、そのレストランで食事したことなど滅多にない私が店の前を通っても、古くからの顔見知りであるというだけで、必ず話しかけてきてお茶を振る舞ってくれたりします。これなら商売の方も巧く行くに違いありません。

また、4年ほど前、中学生だった息子が、「インターネットをやりたいけれどパソコンがない」なんてボヤくので、軽い気持ちで「パソコンぐらい買ってもらいなよ」と言ったら、数日後、アブドゥルラーマンさんから、珍しく真剣な表情で「うちの倅を甘やかさないで下さい」と頼まれてしまいました。

「あの子は幼い頃に腎臓を患ったものだから、私の母が思い切り甘やかしてしまったんです。店に来れば、今度はお客さんたちが甘やかすから、もう店に来るなと言ってやりました。パソコンの件も、実は学校の成績が良くなったら買ってやると約束していたけれど、成績は下がっています。私はわざわざ学校まで行って先生から話を聞いているんですよ」と語るアブドゥルラーマンさんは、トルコの父親として、なかなか教育熱心な方であるかもしれません。

アブドゥルラーマンさんからは、クルド問題についても度々話を聞いたことがあります。

2002年の総選挙を前にして会った時には、クルド系の政党に票を投じると明らかにし、「時々店に来ている田舎風な服装をしたおばさんがいるでしょ。あれは私の母なんですよ。母は未だにトルコ語が殆ど話せないし、テレビを観たってこれも殆ど理解できません。クルド語を解放してくれという我々の主張はここにあります」と熱っぽく語っていたけれど、選挙後に会って話を聞いたら、「南東部ではクルド系の政党が勝利したと報道されているけれど、ディヤルバクルでも56%の得票に留まったのは、明らかな敗北です。多くの同胞が民族的な主張より経済的な安定を選択したということだろうね」と冷静に選挙の結果を分析していました。

それ以前のことですが、「遥かなるクルディスタン」というクルド問題を扱った映画がトルコで公開された時に、シナリオのあらすじを読んでみたところ、クルド人の家々に×印をつけるという話が出て来たので、まさか事実ではないだろうと思って彼に尋ねると、「そんなことあるわけないでしょ」と一笑に付した後、「その映画を未だ観ていないから何とも言えないが、ちょっと大袈裟に話を作り過ぎているようだね。しかし、90年代の中頃には、テロに関与しているんじゃないかと疑惑を持たれていたクルド人が突然死体となって発見されたり、恐ろしい事件が沢山あって、これは新聞でも報道されたけれど、有名な実業家とか高級官僚だったクルド人が殺された時しかニュースにならなかった。実際は名も無いクルド人がもっと殺されていたんだ。マフィアの仕業といっても何らかの形で政府の人間が関与していたと思う。疑惑を持たれただけで、証拠もないのに、裁判に掛けられることもなく葬られてしまったんだよ。あの頃、郷里から友人が私を訪ねて来て、彼が夜9時にスルタンアフメットの駅を降りて歩いていたら、警官から身分証明書の提示を求められ、マルディンの出身であるということだけで署に引っ張られてしまったこともある。私は署の連絡を受けて彼を引き取りに行き、そこで強く抗議した、“この国では普通の国民が夜の9時に街を出歩いちゃいけないのか”って。深夜の2時とかならともかく、夜の9時だよ。署長は私のことを良く知っているから、“君の知り合いとは思わなかった”と言って謝っていたけれどね」と数年前の状況を振り返っていました。

2004年頃、友人の日本料理店に警察署から「南東部出身のクルド人を雇用しないように」と通達があったという話を聞いた時も、アブドゥルラーマンさんに、それがどういうことなのか確かめてみました。

アブドゥルラーマンさんは、「私もクルド人でこのレストランを経営しているんですよ」と不思議そうに首を捻り、「例えば、私も同郷の人間がここで働きたいと言って来た時に、不審な点を感じたら、検察から潔白証明書を要求するかもしれない。でも、“同郷の人間は雇用するな”と言う警察官がいたら、その上司に抗議するね。そうすれば、その警察官の首が飛ぶはずです。トルコにはまだまだ改善されなければならないことが沢山あるけれど、外国の人たちが思っているほど悪い国じゃない。しかし、何処の国へ行っても、おかしなことをする警察官が全くいないことはないでしょ? いつだったか、夜の12時に店を閉めようとしていたら、店の前に止まったパトカーからそういうおかしな警察官が出て来て、“営業は12時までのはずだ。営業許可証を見せろ”なんて抜かすんだよ。だから、そいつがうちの営業許可証をチェックしている時に、私がメモ帳を取り出して、パトカーのナンバーを控えていたら、“何をしているんだ”と言うから、“貴方たちがうちのことを調べているから、私も貴方たちのことを調べて置かないとね”と言い返してやったら、黙って行ってしまったよ。まあ、何かやましいことを考えていたんだね」と説き明かしてくれたものです。彼はこれからのトルコに希望を持っているようで、「テロも収まって来たから、マルディンの辺りは、もう危険じゃない。今後、マルディンは素晴らしい観光地になると思う。できれば、マルディンで外国人ツーリストの為のホテルを経営してみたいね」とその夢を語っていたこともあります。

さて、一昨日久しぶりにあったアブドゥルラーマンさんの息子ですが、彼は今年で高校を卒業することになり、必ず大学へ進むそうです。将来、何をやりたいのか訊いたら、「うーん、多分、ここで観光の仕事をすることになるでしょう。でも、観光業には余り魅力を感じていないんですよね。僕はイスタンブールでホテルをやるくらいなら、アンタルヤのようなリゾート地で展開した方が良いと思いますね」と何だか歯切れの悪い口調で話していました。やっぱり、今の若い人たちは、マルディンよりもアンタルヤに魅力を感じてしまうのかもしれません。