メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ピザハットのピザと50年以上前に食べたピザの思い出

今日は「春分の日」、イランでは新年「ノルーズ」を祝い、トルコでも「ネヴルーズ(ノルーズと同様に新年の意)」と言って春の到来を祝う。

それで、せっかくの休日であるし、朝から何処かへ出かけようかと思っていたけれど、天気が良くなさそうなので止めにした。

結局、雨が降ったり晴れたり、また日が差したりという忙しい一日で、風も強くて寒かった。春の到来どころか、冬に逆戻りしたかのようだ。春は桜が咲いてから祝えば良い。今日は遠出しなくて良かった。

ネットの広告に、「ピザハット、お持ち帰りは半額」というのが出ていたので、昼は近所のピザハットでピザを買ってきて済ませた。こういうピザを食べたのは、ひょっとすると20年ぶりぐらいだったかもしれないが、なかなか美味かった。

クリスピータイプという生地が薄い方を選んだけれど、それでも「ナポリ風」などに比べると、生地の歯ごたえが感じられた。

イタリアでも、各地方に、生地がもっと厚かったりする色々なタイプのピザがあるらしい。生地が極薄のナポリ風でなければ「ピッツァ」じゃないみたいな風潮は何だか行き過ぎであるような気もする。

トルコのビデは、大概、生地がかなり厚めで、生地の旨味も味わえるようになっていた。以下の駄文でご紹介した「ホジャパシャピデジスィ」のビデは、ちょっと薄めだったが、具材とのバランスはなかなか良かったと思う。ピザハットのクリスピータイプをもう少し厚くすると、あのバランスのようになるかもしれない。

今日、ピザを食べて、50年以上前に銀座で食べたピザを思い出した。

多分、小学校6年ぐらいか中学校1~2年の頃だった。母に用事があって銀座へ出ると、母は「三笠会館で何か食べよう」と言った。なんでそういう贅沢な気分になったのか解らないが、私もうきうきして付いて行ったところ、あいにく三笠会館は休んでいた。

それでも何か贅沢なものを食べようとして、並木通りを歩いて行くと、ちょっと洒落たイタリア料理屋があったので、そこへ入ることにした。はっきり思い出せないが、「アントニオ」とかいう店名だったと記憶している。

そこのピザがとても美味かった。今日食べたクリスピータイプと同じように周囲の生地がパリッとしていて歯ごたえが感じられたのではなかったかと思う。

しかし、高校生ぐらいになってから、その店を探してみたけれど、結局、見つからなかった。母も「美味い」と思ったらしく、その後、並木通りを歩く時に注意して見たものの、やはり見つからなかったという。「並木通りというのは思い込みだったかもしれない」と母は首を捻っていた。

不思議なことに、私は小学校6年ぐらいになるまで乳製品が苦手でチーズも嫌いだった。そのため、洋菓子よりも和菓子を好んでいたくらいだ。あのピザは、チーズの美味さに驚いた記憶と共に思い出すので、小学校6年ぐらいだったような気がする。その頃から、私はチーズやその他の乳製品が大好きになって行くのである。




 

トルコはいよいよエネルギー全開か?

イスタンブールの街角で、運転手がサンドイッチを食べながらトラックを走らせているのを見て驚いたのは2014年のことだった。

そうやって、トルコの人たちがガツガツ働くようになったのは、いつ頃からなのだろう? 

1999年~2002年、私がアダパザル県クズルック村の邦人企業の工場で働いていた当時は、製造現場の作業員が深夜まで残業していても、エンジニアの多くは定時になるとさっさと帰宅していた。

ところが、「第5世代戦闘機」の開発に携わったエンジニアらは、度々現場に泊まり込んで研究を続けたという。

このプロジェクトが本格化したのは、2015年以降であるそうだから、やはりその頃からトルコの社会が一層活動的になってきたのかもしれない。

第5世代戦闘機の開発では、チーフエンジニアのエムレ・ヤバン氏がまだ40歳ぐらいなので、30代~40代の若いエンジニアが中心になっているのではないかと思う。

この若い世代は、前世代と何が異なっているのだろう? 

良く解らないが、イデオロギー的な拘りが薄れてきたのも、その一つであるような気がする。

クズルック村の工場でも、当時の20代の若いエンジニアに、他人の宗教傾向をとやかく言う人は余りいないように感じられた。

その前の世代、私と同年配の人たちは、少なからず政教分離主義とイスラム主義の論争に明け暮れ、それを職場にまで持ち込むこともあった。

そもそも、当時、トルコの主要な企業では、イスラムの信仰に篤いエンジニアらが出世するチャンスは余りなかったらしい。

そのため、彼らには外資系の企業を選ぶ傾向が見られたそうだ。外資系の企業は、エンジニアとしての能力を重視してくれるからである。

トルコは、おそらく上述のような若い世代の台頭もあって、この10年ぐらいで、「政教分離主義」に「イスラム主義」といったイデオロギーの対立から解放されてきたのではないかと思う。

若い人たちはそのエネルギーを無用な論争に費やすことなく存分に発揮できるようになった。

いよいよトルコはエネルギー全開と言って良いかもしれない。

  

 

美味しいタンドリーチキンとネパール人の家族

昨日のハイキング、行きは播但線野里駅から歩き始めたが、帰りは西尾根を降りてそのまま姫路駅まで歩いた。

歩道の無い、一方通行の狭い道を真っすぐ歩いて行くと、途中から人通りが多くなり、とても賑やかになってきた。

どうやら「町家の日」というイベントが行われているらしい。歴史を感じさせる古い家屋に、飲食店やアクセサリーなどを売る店が出店してイベントを盛り上げている。

「本場インド料理ガネーシャ」という看板を掲げた店では、タンドールでナンとチキンを焼き、大鍋でカレーを温め、サモサを揚げていた。

チキンの焼ける香ばしい匂いに思わず立ち止まって、暫く様子を見ていたが、調理している人たちは、何となくネパールの人たちであるように思われた。

接客を担当している日本人女性に尋ねて見ると、やはりネパールの家族であるという。

ナンとチキンを焼いているのがお父さん、カレーを温めサモサを揚げているはお母さん、そして娘姉妹が盛り付けを担当しているようだった。

私は香ばしい匂いを漂わせていたチキンだけを食べるつもりでいたけれど、結局、サモサにカレーとナンのフルコースを平らげてしまった。

食べ終わった頃に、中学生ぐらいの女子の3人組が現れ、盛り付けを担当している姉妹に向かって「アニシャ!(だったと思う)」と呼んで手を振ると、妹の方が嬉しそうに手を振り返した。

3人組に訊くと、彼女たちは中学校一年生で同じ教室の同級生なんだそうである。アニシャさんは、ネパール語と日本語はもちろん、英語もかなり話せるらしい。

お母さんは、娘の同級生が訪ねて来てくれたことに喜び、親しげに3人組と何やら話していた。タンドールの調理に忙しいお父さんも、そこから大きな声で「君たち、勉強しているかあ~」と呼びかけ、周りの人たちの笑いを誘っていた。

本当に和やかで楽しい、日本の将来に安堵したくなるような場面だった。

昨日はハイキングも良かったけれど、美味しいタンドリーチキンを食べて、こんな場面に居合わせたことが何より素晴らしかったのではないかと思う。



 

梅も良いけれど花見はやっぱり桜じゃないか?

今日は、姫路城の北側にある増位山へ梅の花を見に行った。

標高258mの増位山から梅林と随願寺を巡る「東尾根~西尾根・ハイキングコース」を歩いてみたが、賑わっていたのは車道が通じている梅林だけで、随願寺の境内もひっそりと静まり返り、西尾根で麓にお住まいというご老人に会ったほか、ハイキングコースでは全く人影を見ることがなかった。

景色の良いお手軽なハイキングコースのように思えたが、あまり人気がないらしい。高御位山はいつも賑わっているのに何故だろう?

今朝は高砂市内でも零下まで冷え込んで、とても寒かった所為かもしれない。

9時半頃に登山口から鬱蒼とした森の中を上り始めた時も、気温は5度ぐらいまでしか上がっていなかった。

しかし、ちょっと上ると直ぐに尾根の上に出て、日差しが当たるようになり、体も温まって来た。

尾根からは瀬戸内海も見渡せて、なかなか気持ちの良いハイキングだったけれど、景色を眺めるために立ち止まってしまうと、風が結構冷たく感じられた。

長期予報を見ると、3月も中旬以降は暖かくなるようだが、その頃は梅の花満開の時期が過ぎてしまうらしい。そして、4月になれば、今度は桜が満開になる。

今年は何処へ花見に行こうか?

寒いのは苦手でも、1月~2月は『冬は寒いものだ』と思って何とか凌ぐことができる。

特に今年は暖冬で助かった。それが3月に入ってから何という冷え込みだろう。

例年も3月以降の寒さが最も堪える。それで桜の季節が待ち遠しくなるのだ。

梅の季節は寒さでどうにも恨めしく思えてしまう。

やっぱりお花見は桜に限る。






 




ロシア人にとってウクライナ人は同胞なのか?

ウクライナ軍は東部ドネツク州アブデーフカからの撤退を余儀なくされ、いよいよ困難な状況に陥っているらしい。

戦争は2年以上の長期に至ったが、ロシアは長い時間をかけて、ようやく目的に近づいたのではないかとも言われている。

トルコでは、当初より、ロシア軍の余りにも緩慢な動きに疑念を呈する論説が見られたりした。

例えば、国際政治学者のハサン・バスリ・ヤルチュン氏は、「ロシアは、何故、あの膨大な火力を使わないのか?」と論じていた。

ヤルチュン氏はシリアでロシア軍が全てを焼き尽くすような凄まじい火力による攻撃を行ったのを目の当たりにしたそうである。

そのためか、ヤルチュン氏には、「残虐なロシア」に対して、多少嫌悪感を懐いているような所が見受けられた。

一方、親ロシア的な論者によれば、ロシア人にとってウクライナ人は同胞であるから、無慈悲な攻撃を仕掛ける意図はさらさらなく、親米のゼレンスキー政権を倒すのが目的であるという。

私はこういった双方の論説を聞いて、30年以上前、まだソビエトが健在だった頃に何かで読んだ話を思い出した。

多分、モスクワに駐在している記者が書いた話じゃなかったかと思うが、「モスクワ市内に配備されている武装警官の多くが白人のロシア人ではなく、アジア系の容貌であることに気がついた人は観察力がある」というように述べられていた。

つまり、モスクワで白人のロシア人やウクライナ人が暴動を起こした場合、そのアジア系の武装警官らに「撃て!」と命じれば、何のためらいもなく、白人の暴徒を撃ち殺すことができるからだそうである。

その代わり、彼らの出身地であるカザフスタンウズベキスタン等々には、もちろん白人の武装警官らが配備されていたらしい。

ところで、私はこんな話を思い出しながら、また妙なことが気になってしまった。

イスタンブールの教会で交流を得た経験から、「ロシア人やウクライナ人ら正教徒には人種的な偏見が少ない」という印象がある。

実際、ロシアではアジア系のセルゲイ・ショイグ氏が国防長官にまで栄達したりしている。

しかし、モスクワやサンクトペテルブルク辺りのごく一般的な白人のロシア人に、「アジア系のロシア人とウクライナ人のどちらを、より身近な同胞と感じている?」と訊いたら、いったいどんな答えが返ってくるのか?

その答えを考えていると、もっと気になることが頭に浮かんでしまった。

ドイツやフランス等の西欧各国は、ロシアを脅威と見做して、日本にもウクライナを支援するよう求めているけれど、果たして一般的な西欧人は、日本人とロシア人を比べて、どちらが身近で親しみの感じられる存在であると思っているのだろう?

 

第5世代戦闘機とトルコの新世代

トルコで、開発中の国産戦闘機「カーン(Kaan)」が初のテスト飛行に成功した。このニュースは日本でも大きく報道されたようである。

米露中に続く「第5世代戦闘機」の開発と伝えられているけれど、これが何を意味するのか、専門的な知識のない私には良く解らない。

トルコ空軍への編入は、2028年に予定されているそうだから、それまでに解決しなければならない様々な課題があるのだろう。

しかし、まだ若いエンジニアの多い開発チームは、今後も弛まない努力を続けて、難関を乗り越えて行くのではないかと期待されている。

これまでにも、チームのエンジニアたちは、家に帰らず現場に寝泊まりして開発を続けたことが度々あったという。

技術的なことは解らないものの、私はこういったエンジニアたちの努力とそれを称賛する報道が感慨深く思えた。

20年ぐらい前だったか、トルコの新聞のコラムか何かに、「我々は家に住んでいて会社へ働きに行くが、日本人は会社に住んでいて時々家に行く」なんて記されていた。そこには「称賛」というより、多少揶揄するような雰囲気が感じられた。

日本を知る周囲の人たちからも、「日本の人たちは働き過ぎで幸せになっていない」「家族が犠牲になっている」等々の批判を聞いたことがある。ところが、今では、現場に泊まり込みで働くエンジニアを称賛するようになったらしい。

開発チームのチーフ・エンジニアであるエムレ・ヤバン氏は、2007年ガーズィ大学の卒業と紹介されているから未だ40歳ぐらいじゃないかと思う。チームはかなり若い世代から構成されているようである。

そもそも、プロジェクトは2010年に始まり、2015年以降に本格化したという。そこには新しい世代による革命的な試みもあったような気がする。

おそらく、トルコではこの30年ほどの間に教育水準も飛躍的に上がっていただろう。

昨年、トルコ共和国は、建国100周年を盛大に祝ったけれど、建国以来の努力がいよいよ結実する時期を迎えているのかもしれない。

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餃子の焼き具合

今日は昼から姫路へ出たので、またベトナム料理にしようかとも思ったが、結局は「餃子の王将」にした。

餃子の王将」は町中華でも、一応は中華料理に違いないのだろうけれど、調理しているのは、ベトナムやネパールの人が多いようだ。

この姫路の王将では、以前、「カン」というネームプレートをつけた青年の焼く餃子が美味かった。多分、ベトナム人だったのではないかと思う。

もちろん、王将の餃子は、本部の工場で一括生産されているはずだが、各店の担当者によっても焼き具合には結構隔たりがある。

餃子以外の料理に至っては、店ごとにメニューが異なっているし、店長の裁量で材料も変えられるのか、同じ料理でも明らかにレベルが違っていたりする。

「ニラレバ炒め」のニラが少なくて、まるで「もやしレバ炒め」のようになっている店もあった。

姫路の王将は、「ニラレバ」も「ムーシューロウ」も美味かったけれど、昨年、店長が変わったらしく、メニューにも従業員の顔ぶれにも多少の変化が見られ、料理は「酢豚」も「青椒肉絲」も格段に美味くなった。

その代わりと言っては何だが、餃子の焼き具合には、ちょっと外れが多くなったかもしれない。

今日の餃子はまあまあだったが、欲を言えば、もう少し焼き色を濃くして、羽根もつけてもらいたかった。