メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アメリカは200年の歴史しか無い子供だ!

2019年以来、トルコ軍は「Pençe Operasyonları(鉤爪作戦)」と呼ばれる一連の越境作戦を北イラクで展開している。

これは北イラクを根城にしているテロ組織PKKを壊滅させるための作戦で、PKKは既にトルコ国内からほぼ一掃された状態であるという。

私には軍事的な専門知識もないし、時間的な余裕もなかったので、この作戦に関する報道は、概要にざっと目を通すくらいだったけれど、先日、以下のYouTubeの動画を視聴してちょっと驚いてしまった。

昨年の末から反撃に出たPKKの攻勢により、多くのトルコ軍兵士らが死傷した事件について、「CNNトルコ」のキャスターから質問を受けた退役軍人(元大佐)のジョシュクン・バシュブー氏が、激しい口調で米国を非難している。

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米国は長年にわたってPKKに武器弾薬を供与し、軍事教練を施すなどして、テロ活動を間接的に支援してきたが、今回はかなり直接的に介入して、そのテロ攻勢に関与したのではないかというのである。

これまでも、米国がトルコに対してPKK等のテロ組織を支援してきたのは半ば公然の事実と見られていたものの、それをトルコ側が表立って非難するようなことはなかった。

2016年7月のクーデター事件の後、エルドアン大統領も次のように語っていたくらいである。

「多くの敵が待ち構えているため、我々がその名を一つ一つ挙げたら、我々は非常に重大な国際外交の危機に直面してしまう」。

しかし、最近は政府要人が「クーデター事件の黒幕は米国」と名指しするのを躊躇わなくなって来ている。

理論的な分析で知られるジョシュクン・バシュブー氏も、テレビ用のセンセーショナルな発言は避けて、米国に対する誹謗中傷など扱って来なかったような気がするけれど、上記の動画を見ると、米国を激しく非難する凄まじい言葉が続いて思わず唖然としてしまう。

米国は地中海に航空母艦を送り込み、国務長官が「トルコの越境作戦は米国の国益に反する」と述べたそうだが、バシュブー氏によれば、これは「我々は流血させ、搾取し、占領して、お前たちを滅亡させるために来た」とトルコを威嚇しているのであるという。

米国の試みは失敗に終わる、しかし、米国にはそれが解らない。何故なら、200年の歴史しか持たない子供だからである、とバシュブー氏は言う。

さらに、米国の国民など国民であるとは思わない、利益に群がった集団である。国家であるとも思わない。米国とはテロであり、禍であり、悲劇であり、流血である。等々、凄まじい言葉が連なっている。

おそらく、トルコに限らず、中東や南米を始めとする多くの国々が米国に対して怨念を懐いてきたはずだが、以前は米国の報復を恐れて表沙汰にできなかったのだと思う。

それが最近は、サウジアラビアなども驚くほど強気な態度を見せている。既に、米国の「威嚇」は通用しなくなっているのかもしれない。

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「移動の自由」があれば良いけれど・・・

今年は初詣に京都へ行こうかと思っていたが、結局、自宅から自転車で行ける所で済ませた。京都まで足を延ばしていたら、日帰りでも結構な出費になっていただろう。

考えて見ると、配送の仕事を始めて以来、この2年の間に一度も京都を訪れていない。

三宮で警備員をしていた頃は、夜勤明けに、度々京都や奈良へ出かけたけれど、あれは三宮までの電車賃が含まれていないところがミソだった。今、高砂市から京都まで自費で行こうとすれば、相当な金額になってしまう。

警備員の勤務は24時間だったため、勤務が終わると、それはいつも「夜勤明け」になっていた。一応、3時間ほどの仮眠もついていたし、勤務自体、非常に楽だから、「夜勤明け」に元気一杯飛び回ることも可能だったのである。

しかも、深夜の時間帯は、ほぼ座っていれば済んだので、その時間を利用して読書に励むことができた。あの2年間にいったいどのくらいの本を読んだだろう?

警備員という仕事は、非常事態に備えるためのものであり、「非常事態」がなければ、殆ど何もすることがなかった。

もちろん、非常事態に対応するための訓練は、頻繁に行っていたものの、実際、非常事態が生じたら、パニックを起こさずに訓練通りに行動できたかどうか甚だ心許ない。2年の間に何も起こらなかったのは本当に幸いだった。

先達ての羽田空港における事故で、奇跡的に乗客全員が救出されたことをトルコの報道番組も「高度な訓練の成果」として最大級の賛辞を惜しんでいなかったけれど、やはり「CA」は正しく体育会系であり、厳しい訓練に耐えて、それを完璧に履行できる資質が備わっていたのだと思う。

2年前、私はその有難かった警備員の仕事を止めて、今の配送の仕事に転職したわけだが、そこには『もっと収入を増やしたい』という気持ちがあった。

けれども、実際のところ、収入は全く増えていない。

面接では、「20時ぐらいまでの残業が当たり前にあり、残業で稼ぐことが出来る」と言われたものの、この2年間で20時まで残業したのは数えるほどしかないのである。

しかし、「残業で稼げる」は決して釣り文句じゃなかったようだ。前年までは相当な仕事量があったらしい。一昨年の春は、それに備えての応援要員まで来ていた。

昨年は、応援要員も来なかったし、一昨年に比べても明らかに仕事量が減っていた。何だか、日本の経済状況の全てが反映されているかのように思える。

お陰で、このブログにも相当数の駄文を書き連ねることが出来た。特に、昨年は、大統領選挙に関するトルコの報道を結構詳細に追うことができて良かった。今では、定時に上がれることを喜んでいたりする。

とはいえ、経済的には、このままで決して良いはずがない。せめて「移動の自由」は確保しなければならないような気がする。


 

 

新年の読書「クオ・ワディス」

年末年始の休暇を利用して、以前から読んでみようと思いながら、なかなか手がつかなかった「クオ・ワディス」(全三巻:岩波文庫)を読んだ。

4日までの休暇中に全て読み終わらせるつもりでいたけれど、そう巧くは行かなかった。

しかし、下巻は、昨日、ほぼ一気に読み下している。読み始めたら止まらない激動の物語だった。

これは、皇帝ネロの時代のローマ帝国を舞台にした物語で、貴族の青年ウィニキウスと人質として帝国に囚われているリギ族の王女リギアの愛を中心に展開されている。

表題の「クオ・ワディス」は、大火を経てキリスト教徒に対する弾圧が激しさを増したローマから一旦逃れて行く使徒ペテロの前に突然姿を現したキリストへ、ペテロが「クオ・ワディス? ドミネ!(何処へ行かれるのですか? 主よ!)」と問うた言葉に由来する。

キリストは「おまえが私の民を捨てるなら、私はローマへ行ってもう一度十字架にかかろう」と答え、ペテロは感動してローマへ戻って行くのである。

私は、おそらく50年以上前、小学校5年生ぐらいの頃、少年少女文学全集といったシリーズの中にあった「何処へ行く」という子供向けの訳で、この物語を読んでいる。

当時から非常に強く印象に残っていたため、『いつか完訳で読んで見なければ・・』と思いつつ、なんと50年が過ぎてしまったというわけだ。

子供向けの訳で、どのような省略が施されていたのか全く思い出せないが、牡牛の角に括り付けられて円形闘技場へ引きずり出されたリギアを従者の巨人ウルススが牡牛を倒して救い出す件は良く覚えていたので、結末を承知しながら、闘技場の場面を読み進めていた。

クオ・ワディス? ドミネ!(何処へ行かれるのですか? 主よ!)」の場面もそうである。数ページ前から、『いよいよだぞ』と待ち構えていたのに、いざその場面になったら、まただらしなく涙腺をゆるくしてしまった。

50余年前も、おそらくこの場面で涙したのではないかと思うが、小学校5年生の少年が流した涙と還暦過ぎたクソ爺の流した涙には、自ずと違いがあるように感じられる。

まあ、小学校5年生の私も「文学少年」といった形容が全く似つかわしくない「騒々しいクソ餓鬼」だったわけだが・・・

ところで、この駄文をキリスト教徒の友人らが読んだりすると、『50年経ってまた感動を新たにしたのなら、これを機会に洗礼を受けて下さい』なんて言い出すかもしれない。それに対する弁明を、物語の中で探してみた。

主人公の青年ウィニキウスの叔父であるペトロニウスは、皇帝ネロの寵臣でありながら、決して常識と理性、人間としての愛情を失わない好漢として描かれている。

使徒パウロの教えにも熱心に耳を傾けるものの、キリスト教を受け入れようとはしない。「貴方たちの教えは正しいと思うが、俺の性に合わない」と言うのである。

私も友人らに「洗礼」を勧められたら、小さな声で「御説御尤もですが、私の性には合いません」と呟くことにしよう!

しかし、キリスト教は、なんと感動的で美しい物語の題材に成り得るのだろう。

読み終えてから、なんとなくマーラー交響曲8番の冒頭が聴きたくなったけれど、こういった西洋音楽の美しさとキリスト教の信仰も無関係ではないような気がする。

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北陸地方を襲った災害

大変な年明けになってしまった。東日本大震災ほどではないにしても相当な被害が出ているようだ。

ネットから得た「津波」の情報に、2011年3月11日の衝撃が蘇ってしまった。

私の半生、どのくらい幸運に恵まれていたのか解らないが、恐ろしい災害に見舞われたこともなければ、もの凄い不運を感じたこともない。

全く無計画に、行き当たりばったりで生きて来たのに、これは実に有難いことだと感謝しなければならない。

私のような人間が、「運が悪くて死ぬ」ではなくて、「たまたま運が良くて生きている」と思うのは、それほど難しいことでもなかったはずだ。

将来のために地道に努力してきた人が、その成果を得る前に、災害で全てを失ってしまったとしたら、過酷な運命を呪わざるを得ないかもしれない。

おそらく、過酷な運命に対して、心の支えとなるのが「宗教」なのだろう。運良く健康に半生を過ごして来た私は、宗教について、いったい何を考えることが出来るのか?

多分、30年ぐらい前に読んだ話で、なんとも曖昧な記憶によるけれど、プロテスタントの牧師さんが、真宗の信仰に篤い北陸地方で講演したところ、慈悲深い「主」の有難い話を伝える度に、聴衆から「南無阿弥陀仏」という囁きが聞こえてきたそうである。

「ハレルヤ」も「アッラーシュクル」も、「南無阿弥陀仏」と同様、感謝の言葉であるに違いない。

播州の善光寺へ初詣

明けましておめでとうございます。

初詣に家から自転車で30分ほどの所にある時光寺へ行ってきました。

播州善光寺」と称される浄土宗の寺院です。三ケ月ぐらい前に、高砂市の観光スポットが案内されている記事で読み、いつか行ってみようと思っていました。

「時光寺への三度の参詣は、善光寺への一度の参詣に値する」と言われ、多くの参詣者で賑わうと記されていたため、元旦の今日は結構な人出を予想していたのですが、数人の参詣者に出会っただけで、境内はひっそりと静まり返っていました。

善光寺には、44年前、妙高高原の観光ホテルで働いていた頃に参詣したことがあります。

ホテルは週末が忙しく、休みは水曜日か木曜日に取れるようになっていたので、善光寺へも普通の平日に出かけたはずですが、こちらはもの凄い人出で賑わっていたと記憶しています。






  

 

年越しは「蕎麦」でなければならないのか?

一昨年の大晦日は、ワークマンで作業ズボンを買うために、わざわざ姫路まで出かけたけれど、ワークマンは家から自転車で15分ぐらいの所にもある。配送の仕事を始めてからこれに気がついた。以来、夏用の作業着等々、必要なものは全てここで買い求めている。

近所のホームセンターでも同様の品々を扱っているが、やはりワークマンのものは丈夫で長持ち、自転車で行く価値がある。

今日は冬用の作業ズボンを新調するために出かけた。丈夫でも、さすがに2年間酷使していると綻びが目立ってくる。

行く途中に、うどん屋さんがあるので、そこで「年越し蕎麦」ならぬ「年越しうどん」も食べるつもりでいた。

東京と違って、この辺りには蕎麦屋さんが見当たらない。あるのは、うどん屋さんばかりである。

蕎麦屋さんを探すと、加古川か姫路まで行かなければならなくなってしまう。

それで『うどんの地方に住んでいるのだから、蕎麦に拘る必要はない』と考えたのだ。

しかし、そのうどん屋さんは閉まっていた。諦めきれず、職場の近くにあるうどん屋さんまで行ってみたけれど、そこも閉まっていた。

ウイキペディアで調べて見ると、讃岐うどん香川県でも、「年越しうどん」を食べる家は22%に過ぎず、「年越し蕎麦」の43%に大きく水をあけられている。

香川県でさえ「年越しうどん」が流行らないのだから、この辺りのうどん屋さんが大晦日に店を閉めているのは仕方がないかもしれない。

結局、「年越しうどん」は諦めて、カップ麺の「年越し蕎麦」で済ませた。そういえば、一昨年の「年越し蕎麦」もカップ麺だった。

それでは、皆さま良いお年を!



六甲山縦走~有馬温泉

今日から年末年始の休暇に入ったので、2020年の4月に六甲山へ登って以来考えていた「摩耶山~六甲山~有馬温泉」というコースを歩いてみた。

「近い所だからいつでも行ける」なんて思っていると、他所へ越したりして、そのまま行かずに終わってしまったことが少なくない。最近は、機会があれば直ぐに実行へ移すように心掛けている。

2020年は「コロナ騒ぎ」の真っ盛りで、有馬温泉はゴーストタウンと化しており、「金の湯」にも「銀の湯」にも入ることができなかった。

そのため、今回は遅くとも16時半頃までに有馬温泉へ着けるよう、全行程を8時間として、8時半には新神戸駅から歩き始めるつもりで出発した。

新神戸駅の北側に出ると、そこはもう鬱蒼とした山林で、南側の喧騒が信じられないほどである。

摩耶山までは結構標高差もあって、「播磨アルプス」などより遥かに登り応えがあるけれど、登山道は余りにも整備が行き届いていて、何だか「山らしさ」が感じられない。しかも、登り切った所は、自動車の通れる道路になっていて、非常に興ざめである。

そこから六甲山までの「縦走路」は、舗装された「山道」であったり、市バスの通る道路であったりして、ゆっくり山の雰囲気を楽しむ気にもなれない。

「播磨アルプス」が何故多くの登山者で賑わっているのか解るような気がした。

結局、かなり早足で縦走路を歩いたため、14時には有馬温泉に着いていた。

それで、『これなら、銀の湯と金の湯の「はしご湯」も楽しめるかもしれない』と思ったけれど、有馬温泉は2020年のゴーストタウンとは打って変わって、数多の観光客で大賑わいであり、銀の湯へ入るにも20分ぐらい順番を待たなければならなかった。

金の湯の方はもっと混雑していたそうである。それに、銀の湯でゆっくり湯に浸かっていたら、歩いて来た疲れがどっと出て体がフニャフニャになり、とても「はしご湯」を楽しむ元気は残っていなかった。

銀の湯を後にすると、さっさと有馬温泉駅まで歩き、三宮にも寄らず家へ帰って来た。体も冷え切ってしまったので、この駄文をアップしたら、また家の風呂に入って、湯上りにビールでも飲むつもりだ。今日のビールはとても美味いと思う。