メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「観光ホテルの思い出」(労働基準法と組合)

《2014年10月10日付け記事の再録》

1979~80年に8ヵ月間住み込みでアルバイトした温泉街の観光ホテルは、副社長と専務という肩書きの兄妹である方たちが経営に当たっていた。

妹の専務さんは、いつも和服を着こなしていて、いかにも“旅館の女将”という雰囲気だった。 
オーナー社長は、65~75歳ぐらいの女性であり、普段は東京にお住まいになっていた。この方が、ホテルへいらっしゃった時は、従業員一同が揃ってお出迎えし、周囲の空気がピリピリと張り詰めたのを思い出す。
ホテルには、経営者の方たちの住居が隣接していて、女子従業員はこの“お屋敷”の女中さんも兼務していた。私は生意気に、『これって公私混同じゃないの?』と思ったけれど、従業員の多くは特に抵抗も感じていなかったようだ。
住み込みで働いている若い女性たちの部屋は、お屋敷の中にあって、ホテルの仕事が終わると彼女たちはお屋敷へ引き上げて行くのである。

一方、私たちが寝泊りしていたのは、梯子のような階段を伝わって下りる薄暗い地下室の大部屋に二段ベッドを1ダースほどびっしり並べた“男子寮”だった。 
夜、仕事が終わってから温泉街へ飲みに行って、寝静まった“寮”に戻って来ると、電気を点けられないものだから、『何番目のベッド』と数えながら進んだつもりで数え間違え、人が寝ているベッドに入り込もうとして大騒ぎになったりした。
従業員の間で、オーナー社長の女性は、畏怖の念を持たれていたし、副社長さんも結構煙たがられていたけれど、専務さんや、その下の常務さん等、弟妹の方々は、皆に慕われていた。私も専務さんには大変お世話になったと今でも有難く思っている。 
私に仕事を教えてくれた先輩のYさんは、東京の大学の法学部にいた人で、「ここの経営者は労働基準法に違反しているのではなくて、はなから無視しているんだよ」なんて良く話していたものの、そこには何気ない親しみが込められていたかもしれない。 
でも、確かに、そのやり方は、労働基準法に照らし合わせたら、かなりずれていたと思う。シフト制などなかったから、勤務時間は、朝早くから、昼の休憩を挟んで、夜遅くまでと非常に長くなる。昼の休憩時間がなくなることもあった。 

私の仕事は皿洗いから始まって、これが1ヵ月近く続いた。洗い場には、“さっちゃん”という同年輩の知的障害のある女性がいた。彼女の手は、洗剤荒れでゾウの皮みたいになっていて悲惨な状態だった。彼女は「手の動きが悪くなる」と言って、ゴム手袋を着用しようとしなかったのである。
私も職場の先輩である彼女の真似をしたわけじゃないが、ゴム手袋を使わないでいたら、1ヵ月で酷いアカギレになり、『これを何処まで続けると、あんなゾウの皮みたいになるのだろう』と恐ろしく思った。 
さっちゃんは、皿を割ってしまったり、何か失敗したりすると、どう対応して良いのか解らなくなって、そこでじっと固まっていたりしたけれど、普段は朗らかにホテルでの生活を楽しんでいるように見えた。
彼女は、私を心安い同僚であると認めてくれたのか、「シン(新)ちゃん、これ手伝って」と気軽に何でも頼んできた。それで持ち場が変わってからも、時々洗い場の仕事を手伝っていたが、フロントにいたSさんという大卒の青年にこれを非難されたことがある。 
Sさんは、私より少し後にホテルへやって来て、最初からフロント専門だった。

働き始めていくらも経たない内から、「ここの労働状況は酷すぎる。組合を結成して闘わなければならない」と主張するようになり、さっちゃんの悲惨さを訴えたりしたので、私が「それなら貴方もたまに手伝ってくれたらどうですか?」と言ったら、「君はさっちゃんではなく、経営者の手伝いをしているのが解らないのか?」と呆れたような顔をしていた。 
しかし、Sさんは組合を結成することもなく、それから間もなくホテルを去ってしまう。
その数日後、さっちゃんも交えて何人かで飲んでいると、さっちゃんは、「Sさん立派な方やったわあ。シンちゃんとはえらい違いだわあ」などと言うのである。

私もさすがにムッとして、「こらあ、そんなこと言うと、もう絶対に洗い場は手伝わないからな」と言い返したところ、「ごめん、ごめん、怒るなシンちゃん」とさっちゃんは笑っていた。
しかし、私はそれまでSさんとさっちゃんに接点があったとは思っても見なかったから、『二人はいったいどんな話をしていたんだろう?』と内心とても不愉快なものを感じた。 
洗い場が終るのは、どうしても一番最後になるので、うんと忙しい時は、なにも私に限らず、先輩のYさんやアルバイトの若い人たちが手伝うこともあった。

専務さんも時には洗い場に入って、額に汗を浮かべながら終了するまで手伝ってくれた。まあ、太った体で通路は塞ぐし、動きは遅いしで、ありがた迷惑なところもあったけれど・・・。

Sさんだったら、「経営者が手伝ってくれたのを有難いと思うなんて、何と愚かなことだ」とでも言うだろうか? 
でも、こんな偉そうなことを言って、私もSさんが去った3ヵ月ぐらい後には、ホテルを辞めてしまった。だから、洗い場を手伝ったりしたのも、「つまらない自己満足の為じゃないか」と言われたら、それまでかもしれない。
これは41年経った今でも、“永遠の命題”みたいになって、頭の片隅に残っている。

もちろん、どちらが正しいとか、そんな答えはいくら考えても見つからないだろう。ただ、この一件が、私に「左翼インテリに対する言いようのない嫌悪感」を植えつけてしまったのは間違いないと思う。

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