メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

上海の人たちは浮気者?

第一世界大戦以降、多民族帝国は次々と崩壊して行ったが、中国だけはモンゴルの独立を許したぐらいで、ほぼその領域を維持しているのではないかと思う。

これには、やはり共産党による強い統制力が必要だったのかもしれない。

例えば、国民党により西側の枠組みに入っていたら、もっと早く経済的な発展を遂げたとしても、欧米の干渉を防げずに分割されてしまったような気がする。

ウイグルチベットはもちろんのこと、上海や福建といった各省も独立した挙句、西側資本の食い物にされてしまったのではないだろうか?

中国の人たちの話を聞いていると、揚子江の南に位置する各省と北京の間には、相当な文化の隔たりもあり、ロシアとウクライナ、あるいは関西と関東に見られるような、『どちらの歴史が古いのか? どちらが本流なのか?』といった葛藤を感じさせられたりする。分割工作は結構巧くいったかもしれない。

20年ほど前に観た中国の映画で、「上海人は皆浮気者だ!」と他省の人が上海の人を詰る場面があったけれど、この場面だけ何だかとても良く覚えている。

というのも、ちょうどその頃に中国人の友人から同様の言葉を聞かされてしまったからだ。

以下の駄文で紹介した福建省の陳さんとは、1992年、トルコから一時帰国した際に知り合った。

91年、東京の東池袋からトルコのイズミルへ旅立った私とほぼ入れ違いで、陳さんはイズミルから東池袋の目と鼻の先にある大塚へ渡ってきたのである。

トルコへ旅立つ前、私は大塚に住んでいた上海人のヤンさんと親しくしていたので、陳さんの大塚のアパートを訪ねてから、「この近くに上海出身の友人がいた」と話し、ヤンさんが上海に奥さんを残して単身日本へ留学しにきたことなども明らかにした。

その後、渋谷へ向かうため大塚の駅へ出たら、なんと若い女性と肩を組んだヤンさんが向こうから歩いてきたのである。ヤンさんも驚いたようだが私も驚いた。

それでも、素早く陳さんとヤンさんに双方を紹介すると、ヤンさんも照れながら「日本人の友人です」と若い女性を紹介したけれど、どう見ても友人というより恋人だった。

陳さんは、ヤンさんらと別れてから直ぐ、私に厳しい表情を見せながら、「上海人は皆あんなことをします」と言ったのである。

そういえば、ヤンさんのアパートでヤンさん手作りという料理をご馳走になった時も、アパートの部屋にはもう一人若い中国人の女性がいた。

おそらく、自分で作ったと言いながら、彼女にも手伝わせていたのだろう。その彼女も、もちろん単なる友人ではなかったに違いない。

私は『ヤンさんモテるなあ』と思わずニヤニヤしてしまったけれど、陳さんはかなり不機嫌だったようである。

上海は中国の中でも抜きん出て繁栄しているから、他省の人たちから様々な面で妬まれたりしているのだろう。

「上海人は浮気者」という言葉にも相当やっかみが含まれているのではないかと思う。

まあ、私も上海には美人が多いようなイメージを勝手に作り上げているくらいだから、他省の人たちがやっかむのも無理はなさそうだ。

「分割の危機」なんて話から随分と和やかな話になってしまったが、今の中国で各省間に葛藤があったとしても、この程度ではないだろうか? 

しかし、中国が欧米に気を許すのはまだ早いかもしれない。欧米が自分たちの繁栄を脅かす者をそのまま放って置くようには思えないからだ。



 

 

多民族帝国の崩壊と国民国家の成立は何をもたらしたのか?

6月末に姫路のジュンク堂で購入したのは中公新書の「スターリン」だけじゃなかった。

そのもう一冊「さまよえるハプスブルク」もこの長期休暇を利用して読もうと思っていたが、結局、後半の部分はざっと読み流しただけで一応読了ということにした。

カバーの裏に記されている「多民族帝国の崩壊と国民国家の成立は何をもたらしたのか」という文言に引かれて購入したけれど、第一次世界大戦で協商国側の捕虜となったハプスブルク帝国の様々な民族から成る軍人兵士らが辿った苦難の道程を詳細に書き表した内容は、特定の研究者を対象としたものであり、あまり一般の読者向けではなかったかもしれない。

スターリン」がとても読み易くて面白かったので、ちょっと残念に感じてしまった。

捕虜の中には協商国側のイタリアと民族を同じくするイタリア人の兵士らもいて、彼らの中には「協商国側に立って戦うから解放してくれ」と申し出た者もいたらしい。

独立するチェコスロバキアチェコ人やスロバキア人の捕虜は「チェコスロバキア軍団」を編成したという。

ハプスブルク帝国は「多民族帝国」と言ってもその歴史が未だ浅かったため、各民族はそれぞれの境界が割と明らかな状態で集まっていたようである。

例えば、その歴史が遥かに長かったオスマン帝国では、イスラム教徒の国民をその母語から分けて境界を明らかにするのは非常に難しかったのではないかと思う。

また、ハプスブルク帝国におけるドイツ人のような主要民族と言える存在もなかった。帝国の中核を成していたのは様々な母語を持つイスラム教徒だったのである。

いずれにせよ、第一次世界大戦の後、ハプスブルク帝国と共にオスマン帝国も崩壊し、イスラム教徒らの一部が「トルコ人」となってトルコ共和国という国民国家を成立させるが、それは現在に至る確かな正統性を得るまで長い困難な時代を経なければならなかった。

もう一つの多民族帝国ロシアは多民族の社会主義ソビエトに生まれ変わって崩壊を免れる。

その過程は中公新書の「スターリン」でも明らかにされていた。スターリングルジア人という出自から民族問題を扱って頭角を現すのである。

しかし、その多民族ソビエトも1991年に崩壊し、ウクライナ等々の国民国家が成立した。それが何をもたらしたのかは現在のウクライナ戦争に良く表れているような気もする。

「多民族帝国の崩壊と国民国家の成立は何をもたらしたのか」というテーマを論じるならば、まさに現在のロシアやトルコに焦点を当てるべきではないだろうか?

多民族帝国は「民族自決」という思想のもとに崩壊を迫られ、それぞれの国民国家が成立して行くわけだけれど、不思議なことに、「民族自決」を強く主張してソビエトトルコ共和国の民族問題にまで介入した米国もまた多民族帝国なのである。

そして、その米国が、現在、ヒスパニックや黒人等の問題で悩まされているのは何とも皮肉な巡り合わせであるようにも思える。

 

トルコとシリアの関係修復の可能性?

先週、記者との質疑応答の中でチャヴシュオール外相が、昨年、国際会議に出席した際、シリアの外相と立ち話をしたと明らかにしながら、「シリアの反政府勢力と体制を和解させなければ、恒久的な平和は実現できない」と述べたため、『エルドアンとアサドの会談も有り得るのではないか?』という憶測がトルコでは囁かれている。

ソチでプーチン大統領と会談した帰途に、エルドアン大統領が「プーチンからシリア政府との協議を勧められた」と明かしたことも憶測が広がる要因になったようだ。

実際、諜報機関同士のレベルでは、シリアとの協議が始まっているらしい。チャヴシュオール外相もそれは認めているが「大統領の会談」は否定した。

この問題について、今日(8月14日付け)のアイドゥンルック紙のコラムでは、フィクレット・アクフラット氏が自説を展開している。

2017年4月に帰国して以来、何か大きなニュースでもなければ、シリア問題の記事にまで目を通す余裕もなかったので、所々、良く理解できていない部分もあるが、興味深く思えた内容を少しお伝えしたい。

断固反米・親ロシア・親中国のアイドゥンルック紙で、アクフラット氏にも同様の傾向があるけれど、以前からシリア情勢に関してはかなり的確な論説が見られたのではないかと思う。

まず、アクフラット氏は、11年に及ぶ反目の後で関係を修復するのは難しいと断っている。

シリアにもトルコにも、それを望まない人たちがいるだけでなく、何より米国とイスラエルがそれを妨害しようとするはずだと言うのである。

また、トルコが実効支配している領域でも、反発が広がってトルコの国旗が焼かれるなどしているらしい。これには「和解も降伏もない! 体制を倒す!」といったスローガンが掲げられているそうである。

この領域の行政機構は、トルコの調整機関によって管理されているが、その調整機関はシリアと国境を接するトルコ各県の地方行政官らによって運営されているとアクフラット氏は明らかにしている。これでは、その領域が何だかトルコ各県の延長上にあるかのように思われてしまう。

それから、トルコが直接支配していないタハリール・アル=シャームの占領地域イドリブでも、トルコリラが流通しているという記述にも驚かされた。

いずれにせよ、アクフラット氏によれば、シリア政府と対立していたトルコは、ようやく国益に沿った正しい方向へ歩み始めたということになる。

果たして、アクフラット氏が言うように、トルコはシリア政府との関係修復へ向かうのだろうか? 

その過程では、もちろんエルドアンとアサドの会談も実現するはずだ。成り行きを注目してみたいと思う。



 

スターリンとエルドアン

11日から勤務先は盆休みに入っている。福岡の配送センターも三宮の警備員の職場も年中無休で盆や正月に長期休暇などなかったから何だか奇妙な感じがする。

当初はこの休暇を利用して、東京に行って来る予定だったが、母の容態もあり、いつでも鹿児島へ行けるよう大人しく自宅で待機することにした。

そのお陰で、6月末から少しずつ読み進めていた中公新書の「スターリン」を、昨日、ようやく読み終えることができた。

特に感想など書くつもりはないけれど、いくつか興味を引かれたことを記してみたい。

グルジアで生まれたスターリンの父母はグルジア語しか解らなかったため、スターリンは学校教育でロシア語を学んだという。

トビリシの神学校へ進んだ多感な少年時代には、抒情的な詩も書いたりしたが、それはグルジア語で記されていた。後年、母親へ書き送った手紙もグルジア語だったそうである。

1860年頃、グルジアの村で農奴の娘として生まれた母親が、グルジア語の手紙であれば読めたというのも少し意外に思えた。

グルジアは、4~5世紀頃、既に独自のグルジア文字を創造したくらいなので、当時から民度はかなり高かったのかもしれない。

スターリンは思想家というより、実務能力に長けた活動家で、その蔵書にも実用的な書籍が少なくなかった。非常な読書家であり、なかなか几帳面なところも見られたらしい。

本書ではなく、ウイキペディアの記述だが、第二次世界大戦当時、ソビエト赤軍の総司令官だったジューコフによれば、スターリンは報告書の誤りを見つけるのが異常なほど巧かったため、スターリンに提出する報告書は入念に準備したという。スターリンも、その報告書を入念に読み込んでいたのだろう。

当たり前かもしれないが、些細なことも疎かにしない勤勉な指導者だったのではないかと思う。

トルコのエルドアン大統領も母方はグルジア人であり、現実的で交渉などの実務能力に優れているところも似ているような気がするけれど、やはりイスタンブール市長時代から報告書には細かく目を通していたと言われている。

その後、首相として地方の行政官を任命する際には、就寝中も携帯電話を切らないよう訓示したことが報じられていた。深夜に至ってからも報告書等に目を通し、疑問点があれば直ちに携帯電話で問い合わせるためだったそうである。

さすがに68歳の現在は、そこまでしていないと思うが、首相在任当時は、僅かな睡眠時間でも持ちこたえる体力が喧伝されたりしていた。

おそらく、スターリンも勤勉に長時間の業務をこなすだけの集中力と体力に恵まれていたのだろう。

しかし、後半の粛清にまつわる記述には驚いた。よくもまあ殺したものである。

革命という特殊な状況、そして全てにスターリンが関与していたのかどうかは不明である点にも言及されているが、側近らも次々と粛清されて行ったのは異常な事態であると言うよりない。

トルコもオスマン帝国から共和国へ至る過程では、革命的な改革を試みているけれど、あのような粛清の史実は伝えられていない。

そもそも、ロシア革命で皇帝ニコライ2世の家族が皆殺しにされてしまったのと異なり、オスマン帝国の皇帝一族は国外退去を求められただけである。この辺りには、ロシアとトルコの気質の違いが見られるのかもしれない。



 

様々な陰謀論:コロナ~安倍元首相暗殺事件~ギュレン教団

先日、母が入所している鹿児島の施設を訪れた際、PCR検査を受けたと記したけれど、あれは「抗原検査」と言われるものだったらしい。PCR検査であれば直ぐに結果を得られるはずがないそうである。

この抗原検査の精度はかなり怪しいという。だから、私が本当に陰性だったのかどうかも疑わしいが、誤って陽性にされてしまった人も少なくないかもしれない。

いずれにせよ、コロナに関しては、当初より余りにも不可解なことが多かったように思える。それで様々な陰謀論が出て来るのだろう。

しかし、コロナ関連の陰謀論の中で最も信憑性が高いと思われるのは、やはり何と言っても「製薬会社の陰謀」に違いない。ワクチンを大量に売りたい米英の製薬会社が、コロナの危機を煽り続けているというのである。

もっとも、これはマスコミや政治家を金銭で動かせば何とでもなる話だから、大袈裟に「陰謀」などと言う必要もないほど現実的な説であるかもしれない。果たして、コロナの3年間で製薬会社はいったいどのくらいの利益を上げたのか? 

おそらく、眩暈がするような金額に違いないが、未だに危機が煽られている成り行きを見ると、製薬会社らはさらなる利益を計上させたいらしい。コロナなどより、こういった留まる所を知らない人間の欲望でも研究した方が良さそうな気もする。

一方、安倍元首相の暗殺事件にも、様々な陰謀論が説かれている。この事件にも不可解な点は少なくなかったようだ。

以下に貼付した田中宇氏の論説などは非常に理路整然としていて、何だか陰謀論の枠を超えているのではないかと思わされてしまう。

田中氏の説によれば、安倍氏はロシアや中国に接近して非米化を図ろうとしたため、米国の諜報機関に抹殺されてしまったということになる。同様の仮説はトルコの論者の中からも出ているが、もちろんこれほど詳細に検証されたものではない。

しかし、トルコほど公然としてはいないものの、日本にも以前から秘かに非米化を模索する流れがあったのは事実であるような気がする。韓国もそうだろう。

韓国は盧武鉉大統領が公然と非米化を図ろうとした時、官僚機構がそれにブレーキを掛けたように見えたけれど、文大統領の時代には既に国家的な戦略になっていたのではないか?

だから、大統領が誰になろうとその路線に変更はないかもしれない。

逆に、公然と非米化を図っているように見えるトルコも、米国との関係を断ち切ってロシアについてしまうようなことは決してないと思う。

NATO離脱も今のところは全く考えられない。慎重に米国との関係維持に努めるはずだ。

それから、田中氏は、日本の警察やマスコミ等に圧力を加えられるのは米国以外にないと論じているけれど、私にはトルコのギュレン教団の日本における不正疑惑が追及されないままになっているのも米国からの圧力によるものではないかと思われてならない。

東京新聞は、以下のように、2008年の12月の記事でギュレン教団の不正疑惑を取り上げたものの、これより先には踏み込めなかったようである。

当時は、トルコ政府内に未だギュレン教団が居座っていたため、「トルコ政府が圧力をかけた」などと論じる人もいたが、今も当時もトルコ政府にそんな力はあるわけがない。

しかし、ギュレン教団に関しては、米国がこの教団を「賞味期限切れ」と見限れば、様々な悪事が明らかになってくるかもしれない。統一教会がそうであるように・・・。

とはいえ、安倍元首相の暗殺に田中氏が論じているような陰謀が仮にあったとしても、結局、うやむやのまま終わってしまうのではないだろうか? 

例えば、GHQ統治下に起きた「下山事件」は、73年が経過した今も何一つはっきりしていない。

渋谷オンブズマン 【詳細】東京新聞こちら特報部」を全文掲載」より



トルコで宗派間の対立は解消されるのか?

トルコでは、イスラムの異端とされるアレヴィー派の人々が断食を行うムハレム月に入ってから、アレヴィー派の礼拝所であるジェムエヴィが立て続けに襲撃されるという事件があった。

犯人らは直ぐに逮捕されたそうだが、背景等は未だ明らかになっていないらしい。

このため、ムハレム月の10日目に当たる8月8日には、エルドアン大統領がアンカラのジェムエヴィを訪れ、アレヴィー派の人々と断食明けの夕食を共にして、これも大きな話題になっている。

宗教がアイデンティティーの重要な拠り所になっているトルコの社会では、政治的に作り出されたクルド民族問題などより、アレヴィー派に対する差別が一層深刻な問題となっていた。

しかし、近年はアレヴィー派とスンニー派カップルが結婚する例も増えているという。襲撃で如何に煽られたとしても、再び対立が生じるようなことはないだろう。

私が20年ほど前に働いていた邦人企業のアダパザル県クズルック村の工場でも、この職場で知り合ったアレヴィー派とスンニー派カップルが結婚している。

日本人の工場長は結婚式に参席して、宗派対立の事実を知り驚いたそうだけれど、工場で働く若いトルコの人たちから得られた印象として「この国も日本と同様、宗教はだんだん薄くなって行くのだろうなあ」と述べていたこともある。

工場長が日本から保守的なクズルック村の工場へ出向して来たのはラマダン月の断食の最中だった。

イスラムやトルコの国情について何の予備知識もなかったので、週末に近くの街へ出て広場で煙草を吸い、周囲の老人たちに詰め寄られて往生したという。

それぐらいだから、トルコの社会を先入観のない白紙の状態で観察することが可能だったのではないかと思う。

しかも、保守的な村の人々、他県から働きに来ていた進歩的なエンジニア等々、様々な人たちと知り合い、共に汗を流して働きながら、その印象を得たのだ。

以下の動画で、ネパールの旅を伝えているユーチューバーのトルコ人青年は、工場長や私がクズルック村で知り合った若い人たちよりもさらに若い世代である。

青年は旅先のネパールでも断食を実践し、断食明けの祝祭にポカラ市内のモスクを訪問するなど、かなり信仰心が高いところを見せている。(*訂正:カトマンズ⇒ポカラ)

祝祭初日の朝には、宿泊している民宿でトルコ料理を作り、同宿している若いトルコ人女性2人にも振る舞いながら(動画の10:52~)、「本当に祝祭の朝みたいになった」などと喜んでいたけれど、やはりユーチューバーである女性たちの方はそれほど信仰がなさそうな雰囲気である。おそらく、断食も実践していなかったのではないだろうか。それでも、青年の料理を喜んで食べながら祝祭を祝っている。

かつては、宗教こそが「政教分離主義」と「イスラム主義」の対立を生む要因になっていると論じる人もいた。

しかし、青年たちの様子を見ていると、今や宗教は信仰の有る無しに拘わらず、人々が集うための要素になっているような気がする。

「薄くなっている」と言って良いのかどうかは解らないが、トルコの若い人たちの間で信仰の有り方が多様化し、宗教が個人の問題となって、以前のような「社会的重要性」は後退したかもしれない。少なくとも若い世代では・・・。

2014年11月に訪れたイスタンブールのジェムエヴィ



アーシューラー「シーア派の熱狂とキリスト教」

《2020年8月28日付け記事を修正省略して再録》

昨日(2022年8月8日)は、イスラム暦によるムハレム月の10日目「アーシューラー」の日だった。

西暦680年のこの日に、イマームフサインが「カルバラーの戦い」で殺害されたため、シーア派の人々は「フサインの殉教」を哀悼して盛大な行事を催すようになったという。

私は2014年の11月にイスタンブールで「アーシューラー」の行事を見学した。スンニー派が主流のトルコで、シーア派の人々は多少抑圧を感じていたのか、その鬱憤を晴らすかのような盛り上がりを見せていた。

ウイキペディアにも、「宗教的な感情が最高潮を迎えるアーシューラーの日は、シーア派社会のエネルギーが爆発する日」と記されているけれど、あの「アーシューラーの日」の雰囲気は、まさしく「エネルギーの爆発」という形容が相応しいように思えた。

いったい、あの熱狂は何処から得られるのだろう? 

それは、やはりイマームフサインが無残に殺されてしまったという悲劇性に起因するのではないかと思うが、ひょっとすると人間には、多くの場合、マゾヒズム的な一面が潜んでいて、これを刺激されると堪らなく興奮してしまうのではないか。シーア派の人々は、フサインの名を叫びながら、自分たちの体を叩いたりしている。

しかし、そういうマゾヒズムの頂点に達しているのは、十字架に掛けられたイエスであるかもしれない。

しかも、イエスは、イマームフサインのように権力争いに敗れたのではなく、人々の罪を購う為に自ら進んで磔にされたというのだから、あれほど感動的な物語はないような気もする。

老体を晒す前に、若くして非業の死を遂げるという「偶像」の絶対的な条件も満たしている。

イスラム預言者ムハンマドの場合、成功した指導者として天寿を全うしてしまったところが、まず物語になり難い。

成功する過程においても、敵に攻められると塹壕(ハンダク)を掘って守りを固めたりと、何だかせこい事ばかりしている。これじゃあ一つも熱狂できない。

それで、シーア派は、イマームフサインの死に焦点を当てようとしたのだろうか? その時に、イエスの物語を参考にした形跡はないのだろうか? 

トルコにはシーア派の他にもアレヴィー派という少数派のイスラム宗派がある。シーア派に近い宗派とされているそうだが、このアレヴィー派にもキリスト教の影響を指摘する説があるという。

アレヴィー派では、セマーと呼ばれる歌や舞踊を伴った礼拝の儀式が賑やかに営まれる。

2007年、一度、セマーを見学する機会に恵まれたが、その時は、一人の青年が「アッラー!」と泣き叫びながら、半ばトランス状態に陥っていた。

韓国のプロテスタントの教会でも、似たような熱狂的盛り上がりを目にしたことがあるけれど、こういった例に比べれば、イスラムの礼拝は実に整然としていて味も素っ気もない。シーア派も普段の礼拝は静かなものである。

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