メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

弱肉強食の世界と国家の利益

トルコの情勢について、また愚にもつかない論評めいたものを書いてしまったけれど、既にトルコを離れて、ネットから得られる情報だけが頼りであり、生活に密着した“地べた目線”によるレポートなどは、もう書きようもないのである。
国際政治も経済も何一つ解っていない私が、トルコ情勢を論じても始まらないが、時間が許す限り、性懲りもなく書き続けたい。
しかし、イスタンブールから中東の情勢を眺めていたら、国際政治を考えるためには、次の三つの言葉が解っていれば良いのではないかと考えてしまいたくなった。
それは、「弱肉強食」・「勝てば官軍、負ければ賊軍」・「鬼畜米英」の三つである。その他の様々な理念やイデオロギーなんて、何だか全てが嘘臭く思えてきた。例えば、「サウジ家のアラビア」とかいう奇妙な国は、いったい何を根拠に成り立って来たのだろう?
だから日本も、この「弱肉強食」の世界で、賊軍にされるのを免れて生き残ろうとするなら、大人しく“鬼畜様”に寄り添っていく以外に、選択肢はないような気がする。
そして、戦後の日本は、巧妙に“鬼畜様”と渡り合い、非欧米国としては破格の繁栄を遂げて来た。これでは、私たちも相当な“畜生”であることを認めなければならないと思う。中国の人たちが言う「日本鬼子」もなかなか的確な言葉であるかもしれない。
34~5年前、お世話になった産廃屋の社長は、「俺の仕事は、多少えげつないことをしてでも、お前たちの仕事を取って来ることだ」と良く語っていた。おそらく、国を運営する人たちの仕事も、これと似たようなものであるに違いない。

つまり、戦後、日本の官僚や政治家の方々の多くは、とても誠実に、熱意を込めて、その使命を果たして来たと言えそうだ。
トルコ共和国の官僚や政治家の多くも、日本とは比べ物にならない困難な条件の中で、たくさんの過ちを犯してきたかもしれないが、少なくとも「国家の利益」に対する誠意では、引けを取らなかったのではないか。
現在のエルドアン大統領も、2012年以降、「ギュレン教団は『国家の利益』に反する」と判断してからは、政権の基盤を危うくするリスクにも拘わらず、徹底的な対決姿勢を貫いてきた。
それまで、エルドアン氏に批判的だったアタテュルク主義的な知識人らの中に変化が現れ始めたのは、この「2012年以降」だったような気がする。
ブルハネッティン・ドゥラン氏は、トルコのイスラム主義者たちが、共和国になってからも「国家の利益」は守ろうとして来たと論じていたけれど、若き日のエルドアン氏もその伝統に忠実なイスラム主義者として、政治活動を始めていたのだろう。


Burhanettin Duran: İslamcılık Nedir (Ayrıntı - TRT Haber - 13.01.2016)