メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

プーチン氏の人物像は?

ウクライナの情勢、トルコではアイドゥンルック紙のような親ロシア派のメディアに限らず「ロシア軍の優勢」を伝える報道は当初より散見されていたけれど、この数日、日本でも「ロシア軍が東部を完全に制圧しつつある」というニュースが見られるようになった。

それまで苦境に立たされていたロシア軍はいつ蘇ったのか?

こうなると、以前の報道には、事実とかけ離れた誇張がかなり含まれていたと思わざるを得ない。また、執拗に続けられているプーチン氏に纏わる「癌の治療中」であるとか「辞任する」といった説は何処に根拠があるのだろう?

そういえば、トルコのエルドアン大統領にも「重病説」や「辞任説」が出たりしていた。こういうのは情報戦・心理戦で良く使われる手なのかもしれない。

アンカラの大統領府もエルドアン氏個人が所有する「宮殿」であるかのように報じられていたが、これは最近、当たり前に「大統領府」として伝えられている。

エルドアン氏の自邸はイスタンブールのクスクルにあって、「豪邸」と言えるほどの規模でもないようだ。

他にも、エルドアン氏に対しては何の根拠もない誹謗中傷ネタが絶えなかった。

例えば、次男のビラル氏がケバブを食べたレストランの立派な顎鬚を蓄えた店主と撮った写真を野党が取り上げて「エルドアンの次男がアルカイーダと接触」などと主張したりしていた。

そのため、ロシアのプーチン氏に関する「黒海沿岸ゲレンジークの宮殿」も何だか胡散臭いネタであるように感じている。

もっとも、政権側の「プーチン氏の親友であるユダヤ系の実業家ローテンベルク氏が所有し、ホテルとして建設中」という釈明も何処まで事実なのか良く解らない。その後、ホテルが開業したという情報も伝えられていないからだ。

しかし、ロシアほどの強大な官僚機構を持つ国家が、ひとりの狂人の言いなりになってしまうような話は到底信じられない。

それなりの規模と歴史がある国家は、指導者を選出する仕組みも整えてきたのではないだろうか? 

また、ロシアのように「民主的な選挙」を行って来なかった国の場合、却って、とんでもない人が選ばれてしまうリスクは民主的な国家より少ないかもしれない。

40年ぐらい前の記憶で、例によってあやふやだが、ラジオの番組で松山千春氏がリスナーから寄せられた手紙を紹介していた。

手紙の内容は、「某政治家と身近に知り合ったら、意外と腰が低い好人物なので驚いた」というような話だったけれど、これに対する松山千春氏の受け答えが、とても面白かった。

「当たり前です。タレントや政治家なんて、“良い人”だということぐらいしか才能ないから・・・」。自分は、作詞作曲という素晴らしい才能に恵まれているため、「“良い人”である必要がない」と言いたかったらしい。

確かに、政治家は、様々な人間関係の上に成り立つ仕事だから、“良い人”だと思われるくらいじゃないと務まらないだろう。強面で知られるエルドアン氏にも「実際に会ったら意外に腰が低かったので驚いた」という話は良く聞かれている。

プーチン氏も結構そんなところじゃないかと思う。プーチン氏と身近に知り合った安倍元首相が、ロシアとプーチン氏を擁護するかのような発言で批判されていたけれど、身近に接した過程でかなり良い印象を得ていたのかもしれない。

もちろん私は、プーチン氏をテレビの画面でしか見ていない。それでも、来日した際、少年たちと柔道の試技を演じ、少年の背負い投げに飛んでひっくり返るパフォーマンスを見せたのには『随分と仕事熱心な人だ』と感じた。

トルコを訪れた際も、トルコ人ジャーナリストの長いインタビューに応じて、答え難い質問にも一つ一つ丁寧に対応していた姿が印象的だった。(米国のコンドリーザ・ライス氏もそうだったが・・・)

いずれにせよ、ソビエトの時代から、西側を通して伝えられるロシアの情報には、多少の歪曲が含まれていたように思える。いつだったか、Twitterで「ロシアではスターリン世襲をしてない・・」という書き込みを見てハッとした。確かにそうである。

スターリンには、独ソ戦の最中、子息がドイツ軍の捕虜になり、ドイツ側からソビエトの捕虜となっていたフリードリヒ・パウルス陸軍元帥との交換を求められると、「中尉と元帥を交換する馬鹿が何処にいるのか」「ナチスに寝返った息子などいない」と答えて拒絶した話が伝えられているという。

極悪非道のように言われているが、なかなか筋の通った人物だったのかもしれない。

というわけで、今日は姫路のジュンク堂まで行って「スターリン(非道の独裁者の実像)」という話題の新書を購入してきた。警備員をやっていた頃と異なり、最近は時間もなくて、買って来た本が「つん読」になっていたりするけれど、少しずつ読み進めてみたいと思う。