メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「誕生から死に至るまでのイスラム主義」

日本と同様、トルコでも、西欧に対する思いは、なかなか複雑であるようだ。西欧は、あからさまに西欧化を主張してきた政教分離主義者だけでなく、イスラム主義者へも重くのしかかっていたのかもしれない。
旧ザマン紙にコラムを書いていたミュムタゼル・テュルコネ氏が、2012年に著した「誕生から死に至るまでのイスラム主義」という本を読んで、イスラム主義者らが西欧に懐いていた複雑な思いの一端が解るような気もした。
テュルコネ氏によれば、イスラム主義を創始した人々は、例外なく西欧で教育を受けたインテリであり、西欧のイデオロギーを下敷きにして“イスラム主義”というイデオロギーを作り出したそうである。
そのため、西欧の思想に精通していない人が、このイスラム主義者たちの著作を読んでも、あまり理解できないのではないか、とテュルコネ氏は記している。
多分、私が読んでもチンプンカンプンだったに違いない。「誕生から死に至るまでのイスラム主義」では、そんな私にも良く解るように、イスラム主義の成り立ちが解き明かされていた。以下にその一部を拙訳で引用する。
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イスラム主義者のプログラムは、国家を、政治システムをイスラム化させることである。しかし、イスラム化されるはずの国家もまた新しい現象だ。
イスラム世界における国家の問題は、彼らの前に姿を現した国民国家植民地主義、そして西欧との接触により生まれた全く新しい現象なのである。
イスラム主義者の多くは、1648年のウェストファリア条約以降の国民国家の秩序の中で思想を展開し、この枠組みに収まるイスラム国家を求めていることに気がついていなかった
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また、エジプトのサイイド・クトゥブによるラディカルなイスラム主義が、トルコには制限された影響しか残せなかった要因について、「トルコでは如何なるムスリムも、西欧に対して、あれほど打ちひしがれた感覚を持っていなかった」と述べているけれど、この観察も実に興味深く思えた。
テュルコネ氏の論じるところによると、トルコでイスラム主義が「死に至った」のは、元来、既存の体制に対する抵抗のイデオロギーとして始まった“イスラム主義”は、これを旗印にしていた人々が政権に就いた為に、その意義を失ってしまったという。
「(イスラム主義の)葬儀は、国家の式典によって執り行われた」という刺激的な言葉によって、テュルコネ氏は、その著作を締めくくっていた。
もっとも、こういったテュルコネ氏の見通しが、どれほど的確であるのか、私には良く解らない。テュルコネ氏は、7月15日のクーデター事件に至るまで、ギュレン教団と命運を共にし、事件後逮捕されると、「教団の実態を把握していなかった」と弁明している。