メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

菩薩の化身?

月曜日、11時頃に歩き始めた時点では、尾根伝いに、かなり直線的に“ポロネーズ・キョイ(村)”まで行けるのではないかと考えて、行程を約3時間半と踏んでいた。
帰ってから、グーグルアースで確認してみたところ、「ポロネーズ・キョイ自然公園」の標識が出ていた分岐点で、そのまま直進していれば、1キロぐらい先で尾根伝いの道と合流したようだ。
左手へ下りて行く道は、西へ西へと向かいながら、どんどんポロネーズ・キョイから遠ざかっていた。しかし、青年が教えてくれたのは、確実に通れる道の中で、最も距離が短いものだった。8~10キロという見当もだいたい合っていたのではないかと思う。
青年は、「2度右へ曲がる」と教えてくれたが、周辺には集落もあり、時折、車も通り過ぎる道だから、分岐点には、いずれも大きな道路標識が出ていた。
2度目に曲がると、そこからは、いよいよポロネーズ・キョイに向かう本道であり、上下2車線の整然とした道路になったが、それを境に辺りは集落のない森林地域になった。
でも、車の通行量は、意外に多かった。特に大型のダンプが頻繁に通る。この道路は、ポロネーズ・キョイばかりでなく、その先のジュムフリエトやヒュセインリといった地区とベイコズを結ぶ幹線になっているらしい。その為、森の中のハイキングというような風情は全くなかった。
ポロネーズ・キョイへ近づき、あの尾根伝いの道が出てくる辺りまで来たら、右手に「ポロネーズ・キョイ自然公園/キジ・ヤマウズラ養育場」という立派な看板と番所のような建物が現れた。しかし、入口は堅固な鉄製の門で閉ざされている。
どうやら、仮に「ポロネーズ・キョイ自然公園」の分岐点から直進する道から来ても、結局、この「キジ・ヤマウズラ養育場」の所で阻まれてしまったのではないかと思う。

キジやヤマウズラを守る大きな犬がいたりして、我々野良犬仲間は、また酷い目にあわされていたかもしれない。
ところで、あの青年は、何故、あんな時間に山の中の道をタシュデレンまで行ってみようとしたのだろう。

「貴方と同じですよ。あの道を行くと、どうなっているのか気になったからです」と青年は笑っていたけれど、あれはどう考えてもタイミングが良すぎたような気もする。ひょっとして、青年は何かの化身だったりして・・・。
ポロネーズ・キョイに着いたのは、3時半ぐらいだった。ポロネーズ・キョイは、文字通りの“ポーランド村”で、19世紀の中頃に、ポーランドの人たちが入植して出来た村だそうである。

村の入口には、トルコ語と英語とポーランド語で「ポロネーズ・キョイへようこそ」と記された標識が立っていた。
ポロネーズ・キョイには、なかなか来ることができない。というのも、バスのような公共交通機関が全く通っていないからである。その“イスタンブール奥座敷”的な特殊性を守るために、わざわざ通さないようにしているのかもしれない。
だから、村を訪れるのは、ほぼマイカーを持っている人たちに限られているようだ。まあ、貸切バスで来る団体とか、タクシーで来る観光客は多少いるとしても、歩いて来る馬鹿タレは、まず余りいないと思う。

途中、ヒッチハイクを試してみたが、止まってくれそうな車は全くなかった。『そういう人が村に入ってはいけない』ということでもないのだろうけれど・・・。
帰りは、バスが来るジュムフリエトまで行くつもりで、20分ぐらい歩いていたら、初老の夫婦が親切に拾ってくれた。何か特別な事態でも生じたのかと思われたらしい。
ジュムフリエトへは、7キロぐらいあっただろう。しかもバスは1時間に1本ぐらいしかない。御夫婦は、カドゥキョイ行きのバスが頻繁に出るデレセキという村まで私を送ってくれた。
どうも、その辺りにお住まいらしいが、「今日はポロネーズ・キョイにお出かけだったのですか?」と訊いたら、御主人は、「いや、何処というあてもなく、なんとなくドライブに出たんだがね。多分、君を乗せるためだったんだろうなあ・・」と言って、愉快そうに笑った。
しかし、この日は、本当に何から何まで巡りあわせが巧く行き過ぎていた。やっぱり、皆さん菩薩か何かの化身だったのかもしれない。 

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