メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

宗教を遠ざけてきたトルコの知識人(ラディカル紙/モスクワ特派員スアト・タシュプナル氏のコラム)

2004年11月16日のラディカル紙より、モスクワ特派員スアト・タシュプナル氏のコラムを訳してみました。

宗教と縁遠くしている為に、宗教的な祝祭がいつ始まるのかも解らなくなっているトルコの知識人。タシュプナル氏は、トルコにおける宗教と社会の関係を改めて問い直そうとしています。

****(以下拙訳)

電話の向こうのロシア人は話の途中で、「ところで、忘れないうちにバイラム(訳注:イスラムの祝祭)をお祝いしておくね」と言った。

私はこれに対し、「ありがとう。でも、バイラムは月曜日に始まるんだ。早めのお祝いは縁起が悪いよ」と言い返した。ロシアでは、誕生日のようなものでも早めに祝うことを良しとしない。

ところが、敬虔なクリスチャンである電話口の友人は、「なにか勘違いしているようだね。バイラムは今日始まったんだよ」と強情だ。

私は『ムスリムでもないくせにバイラムのことでとやかく言うなよ』と思いながら、心の中で『俺はあんたらのクリスマスについてとやかく言わないだろ。知ったかぶりするんじゃないよ』と舌打ちした。

私は確信していたのである。月曜日の夕方、在モスクワ・トルコ大使館より、バイラムのお祝いに招待されていたからだ。数年来、大使館におけるバイラムのお祝いは、バイラムの初日に催されていた。

しかし、その後、間違っていたのは私であることが判明する。私は大いに恥じ入り深く考え込んでしまう。

それから、イスメット・ベルカン氏の記事を読んだ。「バイラムの祝詞は何と言ったら良いのか?」と問い掛けている。

信心深くもなければ敬虔でもないムスリム家族で育ち、宗教と外交的な関係さえ築けない我々のような類の人間たちが度々直面する矛盾や痛惜を、ベルカン氏は率直に伝えていた。

私が19歳になって「ジュムヒュリエト紙」で働きはじめた頃、ラマダンで受けた衝撃を思い出す。

同新聞の主要なメンバーでありながら、公然と断食を実践する者、金曜礼拝に参列する者、さらには食堂で断食明けの食事イフタルを取る者までいた。

その当時は、これに愕然となり、『あってはならないことだ』と自分に言い聞かせたものだ。

その後、中央アジアのステップ都市やアングロサクソンの伝統が息づく街など、様々な国で特派員生活をおくることになる。

しかし、我々のように、宗教との関係が社会の中で公然としたIDカードになっている国など何処にもなかった。

そして、敬虔でもなければ民族主義者でもない者が「知識人」として認めてもらう為の条件として「神と宗教の否定」を定めているのは我々だけだった。

アナトリアで数百年もの間培われてきた寛容の精神により、伝統と混交して行く傾向にあった宗教を、弄繰り回しながら、社会をまとめる要素ではなく、「分裂」させる要素へ仕立て上げることに皆して成功したのである。

外から我国を俯瞰した場合、社会は三つに分かれているように見える。

一つは過剰な信仰を持つムスリムたち、それから、「宗教に反対すること」を宣言している者たち。

但し、この二つを合わせたところで、総人口の1割にも満たないだろう。

残りの「声無き大衆」は敬虔な田舎の人々である。彼らの信仰は伝統に近い。彼らには寛容と助け合いの精神があり、客人をもてなすことを喜びとしている。

そして、残念ながらそこには無教養も沢山ある。この国を支えているのは彼らであり、この国が遅々として前進しない理由もまた彼らにあるのだ。彼らは「穏健な保守主義者」だからである。

見栄えの良い所に居座り、自分たちの詰まらない話題を「国の重要な議題」と思いこんでいる「我々」は、ラマダンがいつのことで、バイラムをどうやって祝うのか考えていれば良い。

これは難しい問題だ。我々に特有な、相互に敬意が不足した対話は、未だ続きそうに見える。挙句の果てには、宗教と社会の関係がいつも凄まじい嵐のようだったロシアの人たちからも、知ったかぶりをされてしまうのである。

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