メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ビュレント・エジェビット氏

昨日の昼、家の前の道路を通行止めにして、大きな音を立てながら掘り返していたので、『何の工事だろう?』と作業をしている人に尋ねたら、インターネット用の新しい回線を敷設する工事なんだそうです。今私たちの利用しているインターネットは時々接続が切れてしまったりするけれど、新しい回線が出来ると接続が良くなるのでしょうか? しかし、それでネットの料金が上がったら堪りません。

私は日本の工事現場で働いたこともあったから、暫くの間、興味深く工事の様子を眺めていましたが、日本の現場に比べて、何となくのんびりしているような気もします。まあ、それは工事の進捗状況にもよるでしょうか。

もう大分前のことですが、イスタンブールで教養のあるトルコの方を訪ねたところ、アパートの前は折りしも道路工事の真っ最中で、4階の御宅まで工事の音が鳴り響いていました。その方は社会主義的な傾向があり、常々、貧富格差の是正などを訴えていたけれど、工事の音は耐え難いらしく、窓から下の様子を覗きながら散々文句を並べるので、思わず「先生、私は日本でああいう仕事をしていたこともあるんですよ」と申し上げたら、気まずそうな顔して何も仰いませんでした。

作業している人たちは、なにも音を立てたくて工事しているわけじゃないし、騒音を一番近くで感じているのは彼ら自身でしょう。『どうも左派のインテリは思想と実際が一貫していないよなあ』などと生意気なことを考えてしまいます。

日本にもいるだろうけれど、コミュニストを自称しながら、あっと驚くほど贅沢な暮らしをしているインテリがトルコには少なくありません。ある自称コミュニストの友人などは冗談に、「僕らはコミュニストでも資本家のように暮らしている。君は資本主義を説きながら、実際の生活は正しくコミュニストだよ」なんて言ってました。

しかし、一昨年亡くなったビュレント・エジェビット氏は正真正銘の社会民主主義者だったように思います。1974年から2002年までの間に、トルコ共和国の首相を5期に亘って務めながら、蓄財とは全く縁のない清貧を貫き、理想を追い求めたまま燃え尽きてしまった人物です。ところが、皮肉なことに、このエジェビット氏ほどトルコの大衆から受けなかった政治家は余りいないかもしれません。

2005年に、イスタンブールで工事現場の通訳を務めていた時は、現場の作業員たちから、以下の例をはじめとして、エジェビット氏を揶揄する小話を幾度となく聞かされました。ある日、現場の食堂に入って行くと、7~8人の作業員が談笑していて、その内の一人が「マコト、お前はビュレント・エジェビットを知っているよな」と言いながら、自分の携帯電話を差し出して聞くように命じるので、それを耳に当てたところ、紛れも無いエジェビット氏の声が聴こえて来たのです。

『あれっ?』と思って、携帯を耳から外し、「これエジェビットじゃない?」と確かめたら、「そうだよ。エジェビットの声って解るだろ? これは録音されたものをネットのサイトから引っ張って来たんだけど、まあ最初から聞いてみなよ」と携帯をセットし直します。

録音されたエジェビット氏の声は、次のように語り出しました。「私たちはロンドンで小さなアパートを借りて質素な生活を始めたのです・・・」。しかし、途中から「・・・ロンドンには売春街もありまして・・・」などという話になったから、『えっ? エジェビット氏がこんなこと言うかなあ?』と首を傾げながら、尚もその先を聴けば、「・・・妻のラフシャンも売春婦みたいなものですから・・・」と愈々可笑しな話になり、さすがに『これはフェイクだな』と気付いて周りを見渡したら、皆、くすくす笑っているところでした。その内容はともかくとして、エジェビット氏の声色は驚くほど巧みに模倣されており、なかなか手の込んだ創作だったように思います。

まあ、彼ら現場作業員の多くは、手に職を持って現場から現場へ渡り歩く素浪人風だったから、安定を求めて組合活動などに精を出している人たちとは少々感覚が違っていたかもしれません。日本でも、四半世紀前に私がダンプの運転手をやっていた頃の同輩や先輩の中には、私と同様にフリーター崩れの惚けた奴もいたけれど、自主独立の気概に溢れた一匹狼も少なくなかったのです。

例えば、ヤマさんという当時40歳ぐらいだった先輩は青森県の出身、中学校を卒業すると集団就職の列車に乗せられて東京の工場へ送り込まれたものの、数日の内にそこを飛び出し、牛乳配達などをしながら自立したそうです。「俺は親や先公が勝手に進路を決めてしまったことに我慢がならなかった。あのまま工場に残っていれば今頃もっと安定した生活を送っているかもしれないが、それでも俺は後悔しない。俺は自分の行く道を自分で決めてきたからだ」。

というヤマさんは、北島三郎の大ファンで田中角栄元首相を支持していました。北島御殿や目白邸は、裸一貫から立ち上がろうとした人たちに夢を与える存在だったでしょう。清貧なんていうのは呪うべき対象だったかもしれません。

何百万円もする鯉を飼って見せびらかすのもどうかと思うけれど、エジェビット氏の清貧ぶりも少し行き過ぎだったような気がします。しかも、晩年は周囲に贅沢な左派インテリがうようよしていたから、その清貧も説得力に欠けていました。