メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本の「朝鮮高校」と韓国の「大和高校?」

1983~5年、私が上記の川越にある産廃屋で働いていた当時、川越から所沢にかけての地域には、同様の産廃や廃品回収の業者が多かったけれど、経営者の殆どは在日韓国・朝鮮人か、さもなければ被差別部落系の人たちだったのではないかと思う。

しかし、社長の右腕を務めていたタカスギさんは、在日韓国・朝鮮人が経営する会社を被差別部落系のそれよりも上に見ていたらしい。

「うちの親爺は朝鮮人だが、大手ゼネコンからも仕事をもらえる。部落の会社じゃそういうわけにはいかない」などと話していた。もちろん、真偽のほどは解らないが、タカスギさんに名指しされていた会社は、産廃というより屎尿処理に特化していたようだ。

また、競合相手の在日韓国・朝鮮人経営の産廃業者を非難しながら、「うちの親爺が良いのは人種差別をしないところだ。あの会社へ行ってみろ、あそこは朝鮮人じゃなければ出世できない!」とも語っていた。

私はその会社の事務所を一度訪れたことがあるけれど、確かに、掲げられていた幹部社員の名札には「金田」「青木」「木村」といった在日の通名に多く見られる姓氏が連なっていた。これも真偽のほどは解らないものの、あの界隈では「在日韓国・朝鮮人」が一種のステータスになっていたような気もする

そういえば、生まれ育った錦糸町の辺りでも、不良の連中は「朝鮮高校」の生徒らが喧嘩に強いのを認めて、彼らに対しては、ある種の畏敬の念を抱いていたのではないかと思う。喧嘩で敵わない屈辱感からなのか、「韓国の大和高校」なんていう珍妙な都市伝説も流布されていた。

つまり、韓国に行けば、在住日本人の子弟が通う「大和高校」があり、屈強な生徒たちが周囲の韓国人をボコボコにしている真逆の光景が見られる、という話である。

この都市伝説は、川越の産廃屋の同僚運転手からも聞いたことがあって、ちょっと驚いた。「白ラン着ていてな、凄く強いんだ」とまるで見て来たように話していた。

そういった「在日韓国・朝鮮人」がステータスになってしまう状況は、ヤクザ屋さんの世界にも見られたかもしれない。

1994年、3年暮らしたトルコから帰国して、川崎でまたダンプの運転手をやったけれど、この会社は社長も働いている人の多くも沖縄の人たちだった。在日韓国人の同僚運転手は、韓国語など殆ど解っていなかったが、沖縄語は結構勉強していて一生懸命話そうとした。私にも勉強を勧めながら、「韓国語もいいけど、ここではウチナーグチ(沖縄語)ですよ」と言うのである。

しかし、地元出身の運転手の中には、高校生の時代、朝鮮高校の生徒たちとよく喧嘩したという人もいた。彼は沖縄にも韓国にも特に関心を示さなかったけれど、朝鮮高校に纏わる思い出を一つ語ってくれた。

朝鮮高校の生徒らとは、いつも下校の際に集団で遭遇して争っていたが、ある日、1人で繁華街を歩いていたところ、その朝鮮高校の1人とばったり出くわしてしまったと言う。しかし、1人対1人では喧嘩する気にもなれず、「おう元気かよ」てな感じで仲良く喫茶店に入って雑談したそうだ。これはしみじみ良い話だと思った。