メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールで危機一髪!

先週、東京では、夜の街へ久しぶりに繰り出した人たちが酒量の調整を誤り、急性アルコール中毒で救急搬送された事例が多かったらしい。

実を言うと、私も先週の金曜日は、高校同期の友人に御馳走になり、大阪の南と北でしたたか飲んでしまった。そして、私もこの9ヶ月ぐらいの間ほとんど飲んでいなかったため、ちょっと調整を誤っていたかもしれない。

深夜、友人が取っておいてくれた南のホテルに無事辿り着いたものの、エレベーターの動かし方が解らず、フロントで呼び鈴を鳴らして「エレベーターが作動しないのですが?」などとボケをかましてしまった。キーカードの提示を求められたので手渡すと、フロントの方がエレベーターの所まで一緒に来て、操作パネルの「12階」を押してくれた。朝、降りる時に良く見たら、パネルに大きく「カードをここにかざしてから行先階のボタンを押してください」と記されている。夜は何故気がつかなかったのだろう? フロントの方も『しょうもない酔っ払いだ!』と思っていたに違いない。

しかし、もちろん救急搬送されるような状況ではなかった。40数年前、高校生の頃は、飲み過ぎて公園で寝てしまったとか色々やらかしたけれど、救急車やお医者さんの世話になったことは一度もない。成人してからは、一人で家まで辿り着けなかったとか、仕事に支障をきたしたことも全くないはずだと言いたかったが、実は3年前にイスタンブールで相当やばかったことがある。

2017年の4月、経済的な事情から帰国することになり、イスタンブール在住日本人の友人夫婦(奥様はトルコ人)が「お別れ会」として、ベイオールはネヴィザーデ小路のメイハーネ(居酒屋)で御馳走してくれることになった。

あまり遅い時間では、アジア側のイエニドアンの家に辿り着けなくなると言って、かなり早い時間に設定してもらって飲み始めたものの、話が弾んで長引いた上、隣席のトルコ人グループに声を掛けられて乾杯を繰り返しはじめた辺りから、雲行きが怪しくなったようだ。気がついたら、私はスルタンアフメットの知り合いが経営するホテルの一室にいた。

『何故、ここにいるんだろう?』と思いながら、まず御馳走してくれた友人に電話したところ、私は最後まで酷く酔っていた様子もなく、イスティックラル通りまで一緒に歩いて、そこで別れたと言う。友人は、私が家に辿り着いていないことに驚いていた。

それから、記憶の糸を何とか手繰り寄せて見ると、私はイスティックラル通りから地下鉄でイエニカプ駅に出て、海峡横断地下鉄のマルマライ線に乗り換えようとしたけれど、どうやらそこでマルマライ線の終電を逃してしまったらしい。その後は、おそらく30分以上歩いてスルタンアフメットのホテルに辿り着く。よろけながら必死に歩いている記憶が残っていた。

しかし、多分、友人家族の経営するホテルに転がり込むつもりだったのが、どういうわけか、その隣にある親族の経営するホテルに入り込んでいた。友人家族は、そこを元々住居として使っていて、後に親族へ譲渡したのだった。

ホテルを出てから、友人家族のところへ行くと、娘さんに「マコト馬鹿ねえ、なんでうちへ来なかったの? あっちへ行ったから宿泊代もしっかり取られたでしょ」と笑われたので、次のように答えた。

「君たちは酒を飲まないから解らないだろうけれど、酔っ払いには帰巣本能というものが働くんだ。それで、昔はあっちが君たちの家だったから、無意識の内にそうなってしまったのだろう。」

まあ、これだけの話で大事に至らなかったから良かった。救急搬送などされようものなら、領事館に通報されて日本の新聞に取り上げられていたかもしれない。

 *写真:これはおそらく店の人が撮ってくれたもので、隣席のトルコ人グループと飲み始めたのはこの後からだと思うが、この時点でもうかなり出来上がっているように見える。デジカメには、店を出てから自分で撮ったと思われるピンボケで何が写っているのか解らないものが2~3残っていた。相当酔っ払った状態だったのだろう。

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