メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ウルデレ爆撃事件~フラント・ディンク暗殺事件

クーデター事件以来、ギュレン教団に関する様々な疑惑が浮上してきたため、この10年ぐらいの間の出来事は、異なる角度から見直さなければならないと言われている。
例えば、昨年11月のロシア機撃墜を企図したのが、紛れもなく教団だったとしたら、エルドアン大統領とAKP政権は自らの意志で“西方回帰”を果たしたのではなかったということになる。
また、2011年12月、トルコ・イラク国境付近のウルデレで、トルコ空軍機がクルド人の隊商に爆撃を加え、34人が死亡した事件に関与していた元憲兵も、クーデター事件捜査の過程で拘束された。
この元憲兵は、クルド人の隊商をPKKと誤報して爆撃させたことにより、職務を解かれたものの、ギュレン教団の庇護を受けて、老人ホームや児童施設の管理者を務めていたそうである。
昨年来、南東部では、トルコ軍とPKKが再び激しい交戦状態となり、PKKと密接な関係を持つHDP(人民民主党)は、AKP政権に対して態度を硬化させていたけれど、クーデターが発生すると、HDPはいち早くAKP政権への支持を表明し、その後もかつてのような敵対的姿勢は見せていない。
これを見ると、ギュレン教団のメンバーである将校が南東部へ赴任して、PKKに限らない無差別な攻撃を行っていたという説も、かなり信憑性を帯びて来る。
軍とAKP政権を非難して、HDPを擁護していたジャーナリストの活動は、決して利敵行為などではなかったかもしれない。
さらに、これはクーデター事件の前から論じられていたが、2007年1月の「アルメニア人新聞編集者フラント・ディンク氏暗殺事件」にも、ギュレン教団は関わっていたのではないかというのである。

2007年と言えば、まだ教団とAKP政権が蜜月の時代で、政権に不利な事件を教団が仕掛けるとも思えないから、『おいおい、なんでも教団の仕業にするつもりかよ?』と私はこの説をかなり疑っていた。
ところが、クーデター事件後に進んだ調査により、少なくとも暗殺事件の捜査を妨害していた司法や警察の関係者が、教団のメンバーであることはほぼ明らかになって来ているらしい。
暗殺を企てたのが教団かどうかは、まだ突き止められていないそうだが、もしも事実であるとすれば、まさしく“フェトフッラー派テロ組織”と呼んで相応しいような気がする。
いずれにせよ、教団の人たちが尊師フェトフッラー・ギュレンを無条件に称えていたのは間違いないと思う。私が知り合った教団の人たちからもそれは感じられた。
もちろん、彼らが尊師の命令であれば、暗殺まで企図する人間であったとは到底信じられない、信じたくもない。しかし、尊師を一途に崇拝してしまうカルト的な体質には、やはり危険性が潜んでいたのかもしれない。