メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「イワナミ先生&ツバキ先生」

《2013年9月30日付け記事の再録》上記の駄文で、“感涙にむせぶエロ中年男”を想像してみたけれど、当初、「感涙にむせんだ」とすべきところを、「感涙にむせった」などと書いてしまった。
“むせる”じゃなくて、“むせぶ”であることは解っていたが、なんと活用が思いつかなかったのだから恐ろしい。『“むせぼった”じゃねえし、何だっけ?』と考えた末に、“むせった”と書き、後で振り返りながら、口の中で何度か反芻しているうちに正解を思い出した。
確認したところ、あれは“バ行五段活用”と言うらしい。活用なんて調べたのは、中学校の現国で教わった時以来だろう。
中学校の現国はイワナミという先生だった。当時、50歳ぐらいじゃなかったかと思う。まずは変わった親爺で、頭をスキンヘッドに剃り、軍服みたいな服着て学校に来ていた。
活用の教え方も実にユニークというか、変態的な要素があり、今でも鮮明に思い出せる。しかし、印象に残ったのは変態的な言動だけで、活用は余り覚えていなかったようだ。
イワナミ先生は、活用を復唱させる際、特に“こく”という動詞を好んで使った。何をこくのかと言えば、“せんずり”をこくのである。それも、手にした竹の棒を自分の股下にあてがい、棒をしごく手つきまでしながら、「では言ってみよう! “せんずり”をこく、こかない、こきます、こく時・・・・」とやる。
区立の中学校だから、もちろん女子生徒もいた。教科書に「春の悶え」という言葉が出てくると、女子生徒の頭を撫でて、「君はもう悶えたの?」なんて訊く。今ならセクハラで即逮捕だろう。あの頃は良い時代だった。
一度、イワナミの授業が父兄参観になったことがある。教科書を見ると、その日は「弁慶の立ち往生」の話が出て来る。

私はこれに、『イワナミの奴、“立ち往生”で絶対に何か言うぞ』と授業が始まる前からワクワクした。つまり、“立ち往生”が、“勃ち往生”という連想。
授業が始まると、お母様方を前に、イワナミは普段と違って真面目に授業を進めていたが、「立ち往生」の場面が近づいたら、イワナミはその部分を先ず自分が読んでみせると言い、私の期待は否応無く高まった。
『何を言うか?』と期待しながら、目で教科書を追って行き、ついにイワナミがクライマックスを朗々と読み上げたところで、私は堪えきれずに、「ぷっ・・」と噴き出してしまった。
しかし、ひーひー笑いながら周りを見ても、他に笑っている生徒は一人もいない。お母様方は怪訝そうな表情で笑う私の様子を覗っている。
イワナミも「ニイノミ、何で笑っているんだ? 何が可笑しいのか?」などと怪訝な表情で私に訊いたが、その目だけは笑っていたように思う。それまでのイワナミのパターンからして、間違いなく奴も私と同じ連想を働かせていたはずだ。それが“父兄参観”になったら何も言わないなんて・・・・。私は僅かばかり残っていたこの先生に対する“敬意”を一気に失ってしまった。
あの頃は色んな“先生”が学校にいた。ツバキという技術科の先生も凄かった。授業は殆ど雑談で終わってしまう。この点、一応、教科書を読み進めていたイワナミは遥かにまともだった。
ツバキの授業で覚えているのは、“ディバイダー”という工作用具の名前ぐらいだ。ツバキは、この“ディバイダー”の名前だけを説明するのに、1時間の授業を費やした。2時間だったかもしれない。
“ディバイダー”を手に取って掲げ、「“ディバイダー”と笑いながら言え」などと命じて、まずは自分でその手本を見せる。「ハハハハ“ディバイダ~”」。なかなかの演技力だった。これに、「怒りながら」とか「しょんぼりしながら」とか実に様々なバージョンが続く。その度に、自分で手本を見せ、生徒が巧く演じないと、“駄目出し”して、繰り返し演じさせる。
私に演技の素養なんてないけれど、エキストラに駆り出されて、監督さんに「笑って」と言われれば、何とか笑うことぐらいは出来た。怒ってみせるのも大丈夫だ。監督さんの中には「貴方は筋が良い」なんて褒めてくれる人もいた。
これはツバキ先生に感謝しなければならないかもしれない。あの教育の成果もあったのだろう。しかし、私は“ディバイダー”という工作用具が何処でどういう風に使われているのか未だに解っていない。

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