メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラム・スンニー派の盟主?

2015年の5月に放送された“Genc Ilahiyat”という番組で、当時の宗務庁長官メフメット・ギョルメズ氏は、母校であるアンカラ大学神学部を訪れて講演し、学生の質問に答えて次のように語っていた。
「・・・しかし今日の生活に関わる問いの答えを求めて、常に4~10世紀前に遡り、その時代に答えが用意されていたかのように語ったり、真理が初期の2~3世代に独占されるのを認めて、彼らが理解したことは正しく、彼らが理解しなかったこと、語らなかったことは、今日において正しくないと言うのであれば、シリアの山野で“ダエッシュ(IS)”などと呼ばれたり、サラフィーであるとか他の名で呼ばれたりする、イスラム文明とは異なる概念と向き合わなければならなくなってしまう」(拙訳)
サラフィー主義は、イスラム厳格派とも呼ばれ、サウジアラビアワッハーブ派もこれに含まれるという。すると、ギョルメズ氏によれば、ワッハーブ派も「イスラム文明とは異なる概念」ということになるのだろうか?


Genç İlahiyat - Prof. Dr. Mehmet Görmez - (Ankara Üniversitesi)

また、ここでギョルメズ氏は、ISとサラフィー主義を同列に扱っているようにも見えるけれど、ジャーナリストのカショギ氏がサウジアラビアの領事館内で殺害された事件のことを考えたら、ワッハーブ派サウジアラビアもISと殆ど変わらない“国家”であるような気がしてくる。
しかし、このサウジアラビアが日本の報道では、“イスラムスンニー派の盟主”などと伝えられたりしている。これでは、イスラムのイメージも悪くなるばかりだが、信徒の総数から見た場合、スンニー派の諸学派の中でワッハーブ派の占める割合は微々たるものに過ぎない。
最も多いのは、全ムスリムの30%を占めるというハナフィー派で、トルコの宗教的なマジョリティーを構成しているのも、このハナフィー派である。宗務庁の長官もアタテュルクの指示によってハナフィー派の人が任命されることになっていたそうである。

トルコの宗務庁はオスマン帝国の“シェイヒュルイスラーム”を受け継ぐ機構であり、オスマン帝国はまさしくイスラムの盟主だった。
ところが、18世紀、西欧に後れを取ったと自覚したオスマン帝国が、西欧に倣った改革に着手すると、辺境のアラビア半島でこれに反抗した頑迷なムスリムたちの中からワッハーブ派が生まれたという。
帝国政府は、当然のことながら反抗勢力を制圧しようとしたので、そのまま歴史が進行していれば、制圧を免れたとしても、彼らは時代に取り残されて勢力を失ってしまっただろう。

ところが、オスマン帝国の弱体化を狙っていた英国が彼らを支援したため、勢力を維持してサウジアラビアの建国に至り、今や“イスラムスンニー派の盟主”などと呼ばれているのである。

これはどう考えてもおかしい。“盟主”だなんて、イスラムのイメージを悪くするためのプロパガンダではないかと思えてしまう。
歴史上、実際の盟主だったオスマン帝国は、時代の流れに合わせて改革をはかり、政教分離的なミドハト憲法を制定する。政教分離は、その後を受け継いだトルコ共和国によって完成され今日に至っている。 

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