メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

質実剛健の気風

昨年の末頃、“YouTube”により、ドイツの農村で「豚の屠殺・解体」を取材した日本のドキュメンタリー番組を観た。
遠い昔、冬の寒さが厳しいその村では、秋の間にドングリなどを食べさせて太らせた豚を屠殺・解体すると、血や内臓も余すところなくソーセージ等に加工して蓄え、春まで食いつないだそうである。
物の本によれば、産業革命以前、ドイツやイギリスなど北部ヨーロッパの農村は非常に貧しかったという。あのソーセージ加工の場面を見ていたら、確かに貧しさを実感してしまった。
ドイツやイギリスは、その食文化を見ても決して豊かとは言えないだろう。質実剛健の気風とは、要するに、貧しかった御先祖の知恵であるような気がする。
そこへ行くと、昔から四季折々の豊かな食材に恵まれてきたトルコの人たちは、贅沢な料理文化を育んだものの、質実剛健の気風は余り育たなかったらしい。
トルコに限らず、イタリアやフランス、中国といった食文化が豊かな国の人たちは、大概そうであるかもしれない。質実剛健からはほど遠く、豪華絢爛や贅沢三昧が大好きなようである。
そして、かつて世界に君臨した大帝国の多くは、こういった豊穣な大地の恵みを背景に生まれたのではなかっただろうか。ローマ帝国中華帝国オスマン帝国、それはまさしく世界三大料理のルーツと言っても良い。
その所為か、これらの大帝国は、余裕もあって大盤振る舞いなところが見られたけれど、質実剛健どころか気風も規律も全て緩んでしまい、いずれも没落して行く。
大航海の時代を経て台頭し、古い大帝国に取って代わって世界へ覇を唱えたアングロサクソンは、それとは全く異なる。豊穣な大地の恵みとは縁のない、寒くて陰気な貧しい島国を背景にしているので、まさしく質実剛健、法にも厳格で規律も正しい、子供は甘やかすことなく厳しく育てるという。
しかし、昔、かつかつに暮らしていた貧しさの恐怖から抜け出せない為なのか、あれだけ強大で豊かになっても、譲歩という言葉は彼らの辞書にないらしい。一歩退いたら死んでしまうとでも思っているような気配さえ感じられる。
開拓者魂というのも恐ろしい。大西洋の荒波を渡って新天地を求め、上陸してからも常に“背水の陣”で原住民を攻め続け、とうとう太平洋岸へ到達すると、さらに波濤を乗り越えて我が国まで押しかけて来た。
あの強い精神を支えた宗教も、人類一般から見たら非常に異質であるかもしれない。以前、イスラム儒教は「老人の説教」なんて論ったりしたけれど、こちらの方が人間の社会にとっては、よっぽど普通であるように思える。
なにか未知の問題が生じたら、イスラム儒教じゃなくても、一歩退いて様子を見るのが当たり前なのに、プロテスタントの人たちはそうじゃなかったらしい。しかし、彼らの力強く前へ進む精神が、人類に近代化への道を切り開いたのは間違いないはずだ。近代化に伴う全ての災いをもたらしたのも・・・。
日本はどうだろうか? やはり島国で、中国のように広い国土もなかったから、それほどの贅沢もかなわず、なかなか質実剛健な気風があったのではないだろうか。そういった気風を大切にした侍の精神は、明治以降も士族階級へ受け継がれていたに違いない。
とはいえ、四季折々の恵みもあって、食文化はイギリスやドイツのように貧しかったわけじゃない。儒教が人々に中庸の徳を教えていたから、退くことも知っていただろう。
こういう愚かな仮定を試みてはいけないが、もしも何かの天変地異の所為で太平洋戦争に日本が勝っていたとしても、言われているほど恐ろしいことにはならなかったと思う。日本に“ひとり勝ち”という発想はない。
そんなことより、一歩も退こうとしない強い精神を持った人たちに、人類の未来、そして特に中東の未来が委ねられてしまっている恐ろしさを考えてみるべきかもしれない。