「Kemalizm mi daha 'iyi', (Yeni)İtthatçılık mı?」

Kemalizm mi daha ‘iyi’, (Yeni) İttihatçılık mı? - Serbestiyet
ネット配信されているトルコの時事問題サイト「Serbestiyet」に、2016年のクーデター事件以降進められて来たトルコの体制の変化について論じたエティエン・マフチュプヤン氏のコラムが掲載されていた。
非常に難解な内容であるため、敢えて翻訳を試みようとも思わないが、読んで私なりに考えたことなどを記してみたい。
マフチュプヤン氏は、2016年以降に出現したトルコの現体制思想を、オスマン帝国末期の「統一と進歩委員会」の思想のニューバージョンであると位置づけている。
それは、「統一と進歩委員会」の思想から派生し、トルコ共和国の根幹を成す思想となった「ケマリズム」の硬直した権威主義に比して、遥かに柔軟な政治思想であると、マフチュプヤン氏は一定の評価を与えている。
しかし、この「新・統一と進歩思想」には家父長制的な傾向が明らかであり、「トルコ民族主義」を前面に打ち出している所が、民主主義の発展を妨げるのではないかという強い懸念も明らかにされていて、これが長い論考の主旨となっているように思われる。
家父長制的な傾向や「トルコ民族主義」、そしてイスラムを重んじているといった部分を読むと、本文にそういった記述はないものの、私には、この思想がエルドアン氏のAKP(公正発展党)と言うより、バフチェリ氏率いるMHP(民族主義者行動党)に近いのではないかと感じられてしまう。
また、MHPには軍人の支持者が多いと言われている。クーデター事件以降、MHPと軍部の政治における影響力が増大したという説は、様々な所で論じられてきた。
もちろん、マフチュプヤン氏は「新・統一と進歩思想」にMHPと軍部の影響が見られるとは述べていない。しかし、エルドアン氏に言及している箇所もないのである。
そもそも、トルコでは多くの識者がエルドアン氏に対して、「特定の思想に拘らず、国益を優先するリアリスト」などと評価している。国家体制の思想を語る上で、エルドアン氏を取り上げる必要はなかったのかもしれない。
では、現在の国家体制で、エルドアン大統領が担っている役割りはいったい何なのだろう?
それは、バランスの調整じゃないかと思う。社会が特定の思想に傾かないために、エルドアン大統領は重要なバランスのかなめになっているのではないだろうか?
ところで、家父長制的な傾向についてだけれど、私はこれに何ら危惧を感じていない。かえって、好ましいと思っているくらいである。
日本や欧米と同様に、今やトルコ共和国最大の危機は「少子化」と断言しても良い。家父長制的な傾向やイスラム信仰は、「少子化」を多少鈍らせるのではないかと期待できる。
また、「トルコ民族主義」も、今後、若い人口を維持するため、中央アジアの「同胞」を移民として受け入れる際に、重要であるような気がする。トルコ民族の同胞であるウズベキスタンは、3千5百万以上の人口と非常に高い出生率を有しているからだ。
国境を接するシリアとイラクも高い出生率を維持しているが、こちらはオスマン帝国以来のイスラム同胞である。
民族や宗教的な同胞を受け入れるわけだから、西欧のような移民問題が生じる懸念もない。トルコにとって、少子化の克服はそれほど難しい問題ではないと思う。