メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ロシア人の皮を1枚めくるとトルコ人が現れる?

この「韓国人の血」という駄文に、韓国の人たちと激しい論争を経て仲良くなった話を書いたけれど、日本人やトルコ人とも同様の経験はあったと思う。やはり、言い争ったりして多少とも本音をぶつけ合うことで、人と人は一層親しくなれるのかもしれない。

規模を大きくして、各国間や民族の間でも、果たしてこれは通用するだろうか?

かつて、日中国交回復のために中国を訪れた田中首相に対し、毛沢東主席は「喧嘩してこそ仲良くなれます」と語りかけたという。(実際は、「喧嘩は済みましたか? 世の中には必ず喧嘩があります」だったらしい・・・)

これは現在の日中関係を見たら、何だか通用していないようにも思えるが、将来、その成果も現れて、真の友好関係を築けるようになると期待したい。何だかんだ言っても、世界で中国と最も良く解り合えるのは我々日本だという思いがあるからだ。

ドイツとフランスにもそういった結びつきはあるような気がする。トルコとロシアもそうだろう。

1998年頃だったか、大阪のある図書館で講演したロシア人女性は、たどたどしい日本語で、「ロシアと日本の交流は、日露戦争を機会に発展しました」と語り出し、これに場内がざわつくと、「皆さん、戦争も立派な国際交流ですよ」と切り返していた。

この伝で行けば、トルコとロシアは、歴史上、まさに限りなく交流を発展させてきた。そのため、お互いのことを良く知っているし、トルコの人たちも、「戦争は国際交流」と言われて驚くような野暮じゃない。

講演後のお茶会で、このロシア正教徒である女性に、イスラム教徒との関係について尋ねると、「兄弟です」と微笑まれていたけれど、カトリックに対しては「敵」という激しい言葉を使ったので驚かされた。あれは「近親憎悪」と言われるようなものだったのだろうか?

講演の質疑応答では、女性の日本語が充分とは言えなかったため、会場にいた一般参加者の日本人男性が通訳に努める一幕もあった。男性は60歳ぐらいかもっと若いようにも見えたが、既に80歳になられていたという。ロシア語はシベリアでの抑留期間中に学び、1998年当時も勉強を続けているとお話しになっていた。

シベリア抑留については悲惨な出来事ばかりが伝えられているけれど、男性はロシアとの友好に熱心だった。この方のロシアとの交流は、まさに戦争を機会にして始まり、厳しい争いを経て友情関係を築き上げていったのだろう。

歴史上、何度も戦火を交えてきたトルコとロシアの間にも、そういった友情の物語はあったに違いない。

イスタンブールに居た頃、滞留許可の更新に行くと、そこで必ずと言って良いほど、トルコ人の配偶者と共に来ているロシア人に出会った。トルコ人とロシア人の婚姻は、統計的にも非常に多いらしい。仲が良いのは、エルドアン大統領とプーチン大統領ばかりではないのだ。

西欧には「ロシア人の皮を1枚めくるとタタール人が現れる」なんて言い方があるという。所謂「タタールのくびき」で、ロシアはモンゴル侵攻から15世紀の末に至るまでタタール人の支配を受けたため、そんな言葉が作られたのだろう。

この場合の「タタール人」は、イスラム化したトルコ系諸族であるから、「トルコ人」と言っても良いと思う。各々の関係はそれほどまでに密接であるということなのかもしれない。

ところで、トルコ人の皮を1枚めくると何が現れるだろうか? 

アナトリアトルコ人は皮を1枚めくるまでもなく、様々な民族の表情を持っているように思えるが、あえて例えるなら、現れるのは「ギリシャ人」であるような気がする。

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