メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

李朝時代の冷麺は贅沢な冬の食べ物?/貧富格差をそれほど気にしていない韓国の人たち

今日もうだるように暑かったので、配送の仕事を終えて帰宅途中、思わずコンビニに寄って「盛岡風冷麺」を買ってきてしまった。

6月に長田まで出かけて「平壌冷麺」を堪能して以来、コンビニの冷麺は、これでもう5回目ぐらいじゃないかと思う。

長田の「平壌冷麺」は、SNSの書き込みで見てからネットで検索したところ、以下のような記事が出て来た。

美味しそうな冷麺の話題もさることながら、記事を掲載しているのが「朝鮮新報」であるところに俄然興味を引かれた。

40年ほど前、東京の飯田橋駅近くの焼肉屋で晩飯を食べながら、隣席の朝鮮新報社の人たちが朝鮮語で会話しているのに耳を傾けたりしていた。それから、4~5年の後、私は韓国で韓国語を学ぶことになる。

そんな思い出もあり、朝鮮新報の記事を読んだら、急に冷麺が食べたくなって長田まで出かけたのである。

久しぶりに食べた本格的な冷麺はとても美味しかったけれど、冷麺食べにそうそう長田までは行ってられない。

それで、冷麺が恋しくなると、コンビニの冷麺で我慢することにした。コンビニの冷麺も暑い日に仕事が終わってから食べると結構美味い。やっぱり夏は冷麺だ。

ところが、調べて見ると、李氏朝鮮の時代、冷麺は冬の食べ物だったという。寒い冬の日に、暖かいオンドルの部屋で冷麺を食べていたらしい。何だか随分贅沢な話である。

李朝時代、一般庶民の家にオンドルがどのくらい普及していたのか解らないが、冷麺を食べたくなるくらい部屋を暖められたのは富裕層に限られていただろう。冷麺は富裕な人たちが食べる贅沢な料理だったのかもしれない。

考えてみると、焼肉もかなり贅沢な料理である。焼肉に限らず、韓国の料理は食材も調理法も豊かで実に味わい深い。やはり、李朝時代の宮廷料理が元になっているからではないかと思う。

それに比べたら、江戸時代の将軍たちの食事は実に質素だった。宮廷料理と言えるほどの料理ではなかったようである。今でも、政治家がちょっと高級な料理屋で会食すると大騒ぎになるくらいで、日本の社会は平等志向が非常に強い。これは結構歴史的なものであるかもしれない。

一方、北朝鮮はもちろん、韓国の貧富格差も日本より遥かに大きいことが指摘されているけれど、これも李朝時代以来のものだろうか? 

そういった歴史的な背景もある所為か、韓国の人たちは、我々日本人が思うほど貧富格差を気にしていないようである。

かつて、貧富格差の少ない日本は、労使間の協調も巧く行き、ブルーカラーの高い勤労意欲に支えられて高品質の生産を可能にしたと言われていた。私もそれを日本の美徳であると誇りに思っていた。

しかし、これからの時代は、格差を気にすることなく有能な技術者に高額の給与を支払える韓国のような社会のほうが有利ではないかと論じられたりしている。果たしてどうなるのだろう? 美味しい冷麺の話から、なんだか暗い話になってしまったけれど・・・。