メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン大統領とオザル大統領

《2021年11月3日付け記事の再録》

2013年6月の“ゲズィ公園騒動”の際、市民を代表してエルドアン首相(当時)と対話した俳優のカディル・イナヌル氏が、「いつも、こうやって穏やかに話せば良いのに・・」と意見したところ、エルドアン首相は、「貴方も映画では、“カディル・イナヌル”を演じているじゃないか」と応じたそうだ。イナヌル氏には強面役のイメージがある。

つまり、演説などで見せるエルドアン大統領の強面ぶりにも、多少「演技」があるということかもしれない。

演説中の過激な発言や失言にも、ある程度「演じていたのではないか?」と思わせるところがある。過激な発言が、実際の法改正等に繋がった例はまずなかったからだ。

いつだったか、エルドアン首相(当時)が、式典の演説で「中絶は殺人」といった爆弾発言をしたら、テレビ局のカメラは、参席していたアクダー厚生相の反応を素早く捉えていた。アクダー厚生相は、隣の閣僚に何か耳打ちしながら、可笑しそうに笑っていたのである。

多分、『うちの大将、またやってくれたよ。明日、俺のところに新聞記者が押しかけてきて大変だぜ』みたいな軽口でも叩いていたのではないかと想像する。

2017年頃、元AKPのアブドゥルラティフ・シェネル氏(エルドアン氏と仲違いして離党)は、「エルドアンが何を言っても気にする必要はない。エルドアンは、発言に世論がどう反応するのか見て、政策を決定しているだけだ」などと述べていた。

他にも、「わざと失言して、重要な課題から世間の目を逸らそうとしている」等々、色んな説が囁かれている。

仮に、そういった諸説が正しければ、エルドアン大統領の無謀とも思える言動は、それなりの計算に基づいているのだろう。確かに、「巧く作られた演説」は入念に準備されているような気がする。

故オザル大統領の演説に生々しい迫力を感じたのは、「演技」ではない感情の昂ぶりが伝わってきた所為かもしれない。

以下のYouTubeの映像は、1988年、演説中に狙撃された直後のものだから、感情が昂っていても当然だが、エルドアン大統領ならば、その前に周囲の勧めに従って会場を後にしたのではないだろうか?


Turgut Özala Yapılan Suikast

狙撃で負わされた軽傷を応急処置して演説を再開させたオザル首相(当時)は、まず「アッラーの与えたもうた命は、そのお望みがなければ誰も奪えない!」と甲高い声で叫んでいるけれど、普段からああやって感情を剥き出しにして話すことがオザル氏には多かったような気もする。

オザル氏は、感情の赴くまま儀礼上の慣行を無視してしまうこともあったらしい。

1980年の軍事クーデターで政権を掌握したケナン・エヴレン大統領に対抗して祖国党を創設したオザル氏は、1983年の選挙で大勝、エヴレン大統領から渋々首相に任命されると、握手を交わすだけになっている儀礼を通り越し、エヴレン大統領を抱き寄せてしまったという。

「これにより、その後の2人の関係では絶えずオザル氏が主導権を握った」なんて評されてもいるけれど、礼儀としては余り褒められた行為ではなかったかもしれない。エルドアン大統領は、そういった儀礼上の慣行を結構尊重しているようである。

他にも、オザル大統領には、「スピード狂」といった破天荒なエピソードがたくさんあり、それに比べたらエルドアン大統領がとても真面目で紳士的な人物に思えてしまうほどだ。

1992年頃、私もイスタンブール市内で自ら車を運転するオザル大統領を見たことがある。

乗っていた市バスが、ベシクタシュの船着場前でゆっくり左に曲がったところ、向こう側から来たベンツも曲がり角でスピードを緩め、運転している人の顔が明らかになると、バスの乗客が数人、「あっ! 大統領だ!」と口々に言うので、私もそのベンツの運転手を注視したら、それは紛れもないオザル大統領だった。

オザル大統領の顔は少し微笑んでいるように見えたが、ベンツは直ぐに走り去ってしまい、隣に座っていたのがセムラ夫人であったかどうかも確認できなかった。

しかし、オザル大統領自身がハンドルを握っていたのは確かで、ベンツの後ろを1台警察のバイクが追いかけて行った他に、護衛の車両などもなかったように記憶している。

翌日、新聞を見てまた驚かされた。「大統領、またもや記録を塗り替える! ベンツを運転してイズミットの某所を出たのが、〇時〇分。アクセルを踏み込んでスピードを上げ、〇時〇分、イスタンブールのオルドゥエヴィ(軍の施設)に到着。その間、僅か〇時間〇分!」といったような記事が載っていたのである。

また、1988年、日本の企業グループによって、ボスポラス海峡の第二大橋が完成すると、未だ首相だったオザル氏は、開通式の先頭車両を自ら運転したそうだ。日本トルコ友好議員連盟の会長として助手席に座っていたという金丸信氏も、猛スピードの運転に驚いたのではないだろうか?

1993年の4月にオザル大統領が急死すると、反対派のジャーナリストも丁重な追悼文を書いていたが、その中でハサン・ジェマル氏の回想がなかなか興味深かった。

オザル大統領のヘリコプターにジェマル氏が同乗したところ、上空に至ったヘリコプターが突然、急降下し始めたというのである。

ジェマル氏は慌てふためきながらも、オザル大統領を観察すると、大統領は至極冷静な様子に見えたものの、急降下が終わるや、ニヤッと笑みをこぼしたらしい。

「おそらく、オザルは『この記者を少し脅かしてやれ』と密かにパイロットに命じていたのだろう。その時は腹も立ったが、今となっては懐かしい思い出だ」という風にジェマル氏は記していたと記憶している。

このオザル大統領を「織田信長」に例えるならば、現在のエルドアン大統領は、明らかに家康タイプじゃないかと思う。