昨日は西宮に出て、御前浜から夙川の辺りを歩き回って来た。目的は、阪神西宮駅近くの「マンボウ」とその先にある「一本松」だった。
「マンボウ」とは、「細雪」の記述によれば、当時、関西の一部の人たちが使っていた言葉で、短いトンネルのようなものを意味しており、語源はオランダ語の「マンプウ」だそうである。
「細雪」では、札場筋付近の省線電車の下を通るマンボウから出た所にある阪神国道のバス停で、お春が妙子の恋人である奥畑と出会った。奥畑はマンボウを通って向こう側にある「一本松」の近くに住んでいると言う。
このマンボウは今でもJR線の下を抜ける通路となっていて健在である。名所として知られる一本松も残っている。
「細雪」に、「人が辛うじて立って歩けるくらいの隧道」と記されていたけれど、実際、身長166cmの私がようやく立って歩けたほどの高さで、少し背の高い人であれば頭をぶつけてしまいそうなトンネルだった。
長さは30mぐらいあったと思う。そのため、真ん中の辺りは結構うす暗くなっている。
『妙子と奥畑が、この暗がりの中を連れ立って過ぎたのか』などと連想しながら歩くと、なかなか艶めかしい気分になるかもしれない。
もちろん、今では誰も「マンボウ」とは言っていないだろう。「マンボウ」と言ったら、あの大きな魚になってしまうはずである。
しかし、最近では、「コロナ蔓延防止策」だか何だかを略して「マンボウ」と言ったりしているらしい。
昨日の「マンボウ」は通り抜けるのに1分と掛からなかったが、こちらの「マンボウ」という長いトンネルは、いったいいつになったら抜けることができるのか? そして、長いトンネルを抜けた向こうには、果たして何が待ち構えているのか?
「細雪」で、妙子は一本松近くの奥畑の家にいて赤痢に罹り、生死の境を彷徨うことになってしまうけれど、そんな悲劇が待ち構えていないことを祈るばかりだ。