3月31日は、嵐山から四条大宮に出て、また平安神宮まで歩いた。
途中、「木屋町通り」や「白川筋」で観た桜もなかなか味わい深かった。「細雪」に京都の桜は格別であるかのように記されているけれど、そういった感性とは無縁である私にも、それは充分に実感できた。
昼は、四条大橋を渡ってから、「松葉」(北店)で「にしんそば」を食べた。
私の記憶に誤りがなければ、中学の修学旅行以来、およそ46年ぶりの「にしんそば」だった。修学旅行では、わざわざガイドブックで調べて、自由時間に元祖の「松葉」まで行ったと記憶している。
その後も「にしんそば」を食べる機会は何度かあったものの、「松葉」を訪れたのは、あれ以来じゃないかと思う。たくさん歩いてお腹も減っていたから、もの凄く美味しかった。もう少しゆっくり食べれば良かった。
「細雪」に、三姉妹が松葉で「にしんそば」を食べたという記述はない。蒔岡家の人たちが立ち寄るのは「瓢亭」といった敷居の高そうな店ばかりだ。私の経済力ではとても無理である。松葉の「にしんそば」でさえ「高い」と感じていた。
「細雪」には南京町で中華料理を食べる場面も出て来るけれど、ここでも食べているものが凄い。
「アヒルの皮を焼いたのを味噌や葱と一緒に餅の皮に包んで食べる料理」というのは「北京ダック」のことであるような気もするけれど、「鳩の卵のスープ」なんていったいどういう料理なのか? 今では相当高級な中華料理屋に行かなければお目に掛かれないだろう。
子供の頃、横浜の中華街で、鶏の手羽先を甘酢で仕上げた料理に喜んでいた私には想像もできない世界である。
しかし、こうして贅沢を楽しむ人たちがいなければ、「細雪」に描かれている文化の継承は困難であるに違いない。残念ながら、現時点でもその半分ぐらいは既に失われていると思う。
昨今はコロナ騒ぎのため一層難しくなっている。
だから、政治家さんも含めて、経済的に余裕のある人たちは老舗の料亭などでどんどん会食を楽しんでもらいたい。
素寒貧の私も、たまには「餃子の王将」に行って、街の灯を絶やさぬように頑張ります。