メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

自由恋愛!

 《2008年6月11日付けの記事を一部省略変更して再録》

2008年の6月、イスタンブールで知り合って間もない同年輩のトルコ人とお互いの恋愛観などについて論じあったことがある。

この男は妻子持ちで、宗教は信じていないそうだ。教養があり、自由な進歩主義者という雰囲気だったから、多少下世話な冗談も気楽に話せると思った。

おそらく、向こうもそう思ったのだろう。のっけから、「君はトルコ人の女と遊んでみたりしないのか?」などと訊いてきた。

しかし、私はトルコ人の女性どころか、日本人の女性ともそれほど器用に遊んでみたりした経験がない。若い頃は、専らソープランドで満足していた。巷の女性たちとは巧く話を合わせることさえ難しかったのだ。

そのため、「・・・相手に対して真摯な気持ちがなくて、一時的な欲望だけで進んでしまうのはどうかと思いますが・・・」などと応じていたら、以下のような展開となった。

「大人の男と女が了解し合ってのことだよ。一時的な欲望であっても構わないじゃない。君はえらく保守的な考えを持っているね」

「しかし、あなたの場合、奥さんがいらっしゃるんですよね?」

「結婚したからには女房だけにしろって言うのかい? そりゃ無理だよ。君も随分固苦しいことを言うねえ」

「奥さんに何と説明するんですか?」

「そういう余計なことは言っちゃあいけないんですよ。気がつかれないようにしないとね」

「それでは、奥さんもそうやって他の男性と遊んで良いということですか?」

私がこの最後の問いを発すると、男の表情から笑みが消え、一瞬“ピクッ”と緊張が走り、「それは駄目だ。許されることではない」と声を震わせた。

「トルコでは決して許されない。これはトルコの文化だからね。パンパンと射殺してお終いだよ」

「でも貴方は、男女の平等を盛んに説いていたじゃないですか。イスラムのスカーフにも反対していましたね」

「男女の平等とは別次元の問題だ。トルコでは、パンパンでお終い! それ以外にない!」

「誰を殺すんですか?」

「二人ともだよ!」

「相手の男も武器を持っていたら?」

「そっ、それは・・・。見つけ次第、そこで始末するんだ。武器なんて持てないだろ?」

「それでは余りにも卑怯じゃありませんか? 昔、ロシアじゃ決闘したって話ですよ。どちらがその女に相応しいかってね。それで落命してしまう哀れな亭主もいたそうです」

「なんて馬鹿げた話だ。女房を寝取られたうえに殺されてしまうなんて・・・」

まあ、日本にもいろいろな男がいるだろうけれど、少なくとも『大人の男と女が了解し合って』などと自由な恋愛を標榜する人であれば、最後の問いに対し、それまでの流れから、『俺が知らないだけで宜しくやっているんじゃないの? どうだって良いよ』ぐらいのことは言いそうじゃないだろうか。 

それで、「そういう身勝手な自由恋愛の主張より、イスラム主義者の主張はよっぽど整合性が取れているのではありませんか?」と尚も暫くねちねち問い詰めたところ、彼は徐々に冷静さを取り戻した。

そして、「つい興奮して可笑しなことを言ってしまった。君の言う通りだよ。かなり矛盾しているね」としょげ返りながらも、「中央アジアにいたトルコ人も、もともとアナトリアに住んでいた人たちもそれほど貞操に拘っていたわけではない。これはイスラムと共にもたらされた文化だ。イスラムの所為で我々はつまらないことに興奮するようになってしまった」なんて言いながら、進歩主義者の面目を保とうとしたのである。

こういう身勝手な男たちから弄ばれないように自分を戒める敬虔な女性たちの信仰心も何となく理解できるような気がした。

一方で、男の身勝手な“自由”であっても、こうして恋愛を楽しむ男女が増えれば、女性たちの自我も芽生え、“女房の浮気は許さない”という男の我儘は切り崩されてしまうかもしれない。

実際、今のイスタンブールで育った新しい世代には、一応イスラムを信仰しながら、平等に自由恋愛を楽しんでいる若者たちは少なくないと思う。

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