2010年の11月、イスタンブールの市バスの車内で、人の良さそうなおじさんから、「中国人ですか?」と声をかけられた。おじさんは、北京や上海を訪れて来たばかりだそうである。
50歳ぐらいに見えたが、観光旅行で中国へ行けるほどの余裕がありそうには思えなかったので、「仕事で行ったんですか?」と訊いたら、「いや、それが観光なんですよ」と言って、次のように説明した。
おじさんの郷里であるマニサ県に中国の企業が投資して工場を設立した際、企業の代表として訪れた年配の中国人女性をおじさんが親切に案内してあげたところ、感激したその女性がおじさんを中国へ招待してくれたという。
しかし、おじさんと話し始めたら、直ぐに降りる停留所へ着いてしまったため、それ以上の詳細は聞けなかった。招待されたのはおじさんだけじゃなかったらしいが、いったい何人ぐらいいたのか?
いずれにせよ、いくら感激しても、日本人にこれは出来ないだろうと驚いた。日本では組織の仕組みからして無理だと思う。おじさんも驚いていたようだ。
彼はその中国人女性がマニサを訪れた際、素晴らしいトルコ的なホスピタリティを発揮したに違いない。それで女性も中国的に熱烈歓迎してしまったのではないかと想像する。
彼の他に、もっと上のクラスのトルコ人も招待されていたかもしれないけれど、彼を一行に加えたところで中国側に何らかのメリットがあったとは思えない。
もちろん、中国の人たちも戦略に基づいて準備を怠らないはずだが、朋友や家族に対する昔ながらの情熱的な面も失われていないだろう。まあ、これが不正の温床になっているような気もするけれど・・・。
一方、トルコの人たちも、友人や家族に対して、とても情熱的だから、お互いに解り合えるところは多いかもしれない。
また、いずれも世界に覇を唱えた大帝国だったのに、19世紀以降は、欧米や周辺国からよってたかって酷い目に合わされ、国際社会を余り信用していないところなど、良く似ている面はたくさんあると思う。