メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「凄い爺さん?」

《2017年3月4日付けの記事を再録》

1983年、上記の産廃屋にいた頃、寮の部屋で、私より15~17歳年長の先輩二人、青森県出身のヤマさんと岩手県出身のサトウさん、そして、私より3歳ほど年下で暴走族あがりという20歳の青年エンドウ君と無駄話をしていた。
つけっ放しになっていたテレビの画面に、未だ御健在だった昭和天皇の姿が映し出されると、エンドウ君はテレビの画面を示しながら、冗談とも思えない口調で、「この爺さんが凄いんだってね」と言い放ち、ヤマさんとサトウさんは凍りついたように顔を見合わせた。
「おい、エンドウ、お前、この人が誰だか知らないのか?」
「何だか知らねえけれど凄い爺さんだって話だよ」
「馬鹿、この人は俺のお父さんだよ」
「ハハハハ」
「まっ、それは冗談だけど、本当にお前、この人が誰だか知らないのか? 天皇陛下だよ」
「あっ、それそれ。凄く偉いんだってね」
ちょうど、その時、下からエンドウ君を呼ぶ声がして、エンドウ君が降りて行った後、ヤマさんは唖然とした表情で、「ニイノミ、お前はいくらなんでも知っていたよな。でも最近、学校じゃ天皇陛下について何も教えていないのか?」と私に訊きながら、首を傾げていた。
私は子供の頃に皇室一般参賀へ連れて行ってもらった記憶もあり、両親から皇室に対する敬意は何気なく教えられていたように思う。
しかし、高校時代を経て、左翼的な友人たちと生意気な議論を重ねたりしていた所為か、当時、それほど皇室を敬っているわけでもなかったけれど、エンドウ君の発言には私も驚かされた。
エンドウ君にしてみれば、天皇は右翼の大親分のようなイメージだったのだろうか?
それから数年、私はバイト先の先輩に、「皇室の人たちに、国民としての権利や自由は法的に保障されているんですか?」なんて問い質したこともある。
先輩はその翌年、司法試験に合格した法学士で、明確に皇室の存在を支持していたが、この時は、私に良く解らせようとしたのか、次のように答えていた。
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あのなあ、皇室の人たちは、結構あれで毎日美味しい物食べて快適に暮らしているんだぜ。
社会には貧しい家に生まれて満足に学べなかった人もいる。法的にはその人に自由や権利が与えられているだろうけれど、経済的な条件によって最初から人生の選択肢は狭められ、自由も制限されているんじゃないのか? 
その上、貧しくて快適とはいえない生活を余儀なくされているんだ。皇室の場合、法的にも自由は殆どないかもしれないが、快適な生活が出来るだけましだよ。

世の中、全てが巧く行くことはない。様々な運命を背負った人たちがいて成り立っている。
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その翌年、韓国へ語学留学していた私は、韓国の新聞だか雑誌の記事に、以下のように記されていたのを読んで、また皇室の存在について色々考えて見た。
「日本では権威と権力が巧妙に分離されている。天皇に権威はあるが、権力はない。首相は権力を持っていても権威は持っていない。これが社会に安定をもたらしている」
皇室の方たちが不自由を強いられてまで、何故、天皇という権威は存在しなければならないのか、私は今でも良く解っていない。
民主主義の世の中に、生まれながらにして職業選択の自由を奪われてしまった人たちが存在するのは甚だ矛盾しているだろう。
とはいえ、矛盾に満ちた人間たちの営む社会を何から何まで合理的に正そうとしたら、そのうちポキッと折れてしまうのではないか?
その意味で、皇室には、国家の権威ばかりでなく、この世の矛盾を象徴している意義があるかもしれない。
トルコの人たちから、「天皇とはどういう存在ですか?」と問われて、こんな私が答えては拙いけれど、一応次のように説明している。
「アタテュルクのような存在であると思います。貴方たちがアタテュルク廟へ詣でるように、私たちも皇室一般参賀などで皇居へ詣でるのです。ただ、アタテュルクはお亡くなりになった方ですが、皇室の方たちは生身の人間であるところが違うかもしれません」
アタテュルクについても、トルコでは、「個人崇拝はもうやめよう」とか「アタテュルク廟に祀りたてるのではなく、普通の墓地に埋葬してあげなければ故人の霊も浮かばれない」といった意見が聞かれる。
しかし、残念ながら、日本の皇室の方たちと同じく、トルコで権威を象徴しているアタテュルクも、そう簡単には自由になれないような気がする。

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