メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ソウルの新世界百貨店(かつての三越京城支店)

1988年、ソウルの延世大学語学堂に留学していた私は、この「日本統治下のピョンヤンに生まれたトルコ人の老紳士」が語った三越京城支店、現在の新世界百貨店本店で、本店長から直々に昼食を御馳走してもらったことがある。

当時の本店長は日本人で、私はソウルの日本人会で知り合ったこの方から、下宿を見せてもらいたいと頼まれた。日本にいる子息を韓国へ留学させたいが、親元に置いたのでは勉学に身が入らないだろうから、何処か適当な下宿先を探しているという。

それで、私の下宿ともう一つは延世大学語学堂のクラスメートだった日本人の下宿をお見せすることになった。語学堂のクラスメートは、語学研修に来ていた総合商社の社員であり、彼の下宿は私の庶民的な下宿に比べればかなり上等だった。

その日、本店長さんは、運転手付きの黒塗りの車で私の下宿に乗りつけた。一通り下宿の内部をお見せしてから、少々解り難いクラスメートの下宿まで御案内するため、私もその黒塗りへ同乗させてもらった。

すると、そこで本店長さんは、「貴方にはとても失礼な話だが」と前置きして、「私は自分の子供をこんな所へ置くことはとてもできない」と悲痛な表情で言ったのである。確かに、とても失礼な話だと思った。

次の下宿は一流商社マンが利用しているというので、かなり期待されていたけれど、そこも充分に満足できるレベルではなく、結局は下宿を諦めてアパートを借りることになったそうだ。

クラスメートの商社マンは、有名なスポーツ用品メーカーの創業者一族の人だったが、なにしろ東京で学生していた頃も、「若いうちは汗を流して働かなければならない」という家訓に従って、ずっとトラック配送のアルバイトをしていたというくらいだから、本店長さんの贅沢な悩みには呆れ返っていた。

それから数日して、私は新世界本店に呼ばれて、店内のレストランで昼食を御馳走になったのである。

時間通りに出かけて階下で案内を請うと、丁重に本店長室へ通されたけれど、まずはとても広い部屋だったことに驚かされた。

本店長室からは、店内を歩いてレストランへ向かったが、その光景はなかなか忘れられない。真ん中の広い通路を本店長さんについて歩いて行くと、通路の周辺にいた従業員たちは、“本店長様”が目に入るや、通路脇まで出て来て深々と一礼するのである。

あれでは来店中のお客さんに迷惑じゃないかと思うけれど、当時は、日本人の本店長様に比べたら韓国人の客なんて安いものだったのかもしれない。

両脇からずらりとお辞儀されて、その中を歩いて行くのは実に気色悪かった。あんなこと毎日繰り返されたら、精神に異常を来たしてしまうのではないかと感じたほどだ。

私はトルコ航空の国内線で一度だけビジネスクラスに乗り、スチュワーデスさんから「シャンペン」を勧められた時も、その異様に丁重な態度が気色悪かった。あんな風にされて嬉しいと感じる人がいるものだろうか?

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ソウルの新世界デパート本店(日本統治時代には、三越京城支店だった建物)