メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「中国のホスピタリティ」

《2007年1月5日付け記事を修正して再録》

1990年、東京の大学書林トルコ語の学習を始めた頃、私は築地の魚河岸でトラックによる配送のアルバイトをしていた。早朝、2tトラックで魚河岸に乗りつけ、場内の卸商から荷車によって運ばれてくる鮮魚等をトラックへ積み込み、多摩地区にある各スーパーへ配送する仕事である。

荷車を引いて商品を運んで来る人たちの中に、ヤンさんという中国人の留学生がいて、彼とは直ぐに親しくなった。ヤンさんは、日本へ来る前、上海の美術館だか博物館のようなところに勤務していたそうで、非常に博識な上、素晴らしいほどに達筆だった。(まあ、中国の人が達筆なことに一々驚いていたら限はないけれど)

当時、私は東池袋のボロアパートに住んでいたが、ヤンさんの住所もそこから程遠くない大塚駅の近くであるという。彼に、大塚の辺りで美味しい中華料理屋はないかと尋ね、「メニューを見ても良く解らないから、一度ご一緒できませんか?」と頼んだところ、「申し訳ないけれど、僕は貧乏留学生だから、とても外食はできません」と言うので、「それなら食事代は私が持ちましょう」と無理やり承諾させた。

早速、その週末に、ヤンさんが連れて行ってくれた料理屋は、店の人もお客さんもその殆どが中国人といった感じの店で、見るからに美味い料理が味わえそうな雰囲気である。

メニューの選択は彼に任せたが、彼は店員に向かって中国語で長々と注文していた。『いったい何を注文したのだろう?』と思っていると、まもなく料理の皿が次々と運ばれてきて、おそらく5~6品は出て来たんじゃないだろうか。

テーブルを埋め尽くした品々は何れも非常に美味ではあったけれど、『まあ、二人で2000円もあれば足りるだろう』と高をくくっていた私は、急にふところ具合が心配になり、心落ち着けて料理を味わっている場合ではなくなってしまった。それに、そもそもが二人で食べきれる品数ではなく、結局、かなりの量を残したまま席を立つと、ヤンさんはさっさと外へ出て、私が会計を済ませるのを待っている。

なんとか会計を済ませて私が外へ出ると、彼は申しわけ無さそうに頭を下げながら言った。「僕はとてもこういう店でお返しすることが出来ないから、来週は僕のアパートに来て頂けませんか? 僕が料理を作って御馳走しますよ」。

それで、翌週末の夕方、大塚駅近くのヤンさんのアパートへお邪魔してみると、ここが私のところに負けないほどのボロアパートで、台所といっても、部屋の隅に小さなガス台があるだけである。しかし、既に食卓は手料理の数々で埋め尽くされており、乗り切らない皿がガス台の脇にも置かれていた。

ヤンさんはすまなさそうに、「なにしろ僕が作ったものですからね。それほど美味しいものじゃないかもしれませんが、どうぞ召し上がって下さい」と言ってたけれど、小さなガス台を使ってこれだけの品数を調理するのに、いったいどれくらいの時間をかけたのか? おそらくは、朝からせっせと準備していたに違いない。

なんでも中国では、他所で御馳走になった際、全ての料理を平らげてしまっては失礼になるそうだ。平らげてしまった場合、料理の品数が充分ではなかったという意味になるため、もてなす方としても、客人が食べきれないほどの量を用意しなければならない。これは私が暫く滞在した韓国でも同じだった。

ヤンさんは、たとえ奢ってもらうのだとしても、食卓に2~3品ばかりの料理では私に失礼だと思ったのだろう。我々日本人の中には、「なんて無駄なことをする文化だ」といってこれを非難する人がいるかもしれないけれど、私はヤンさんの心遣いをとても嬉しく感じた。もちろん、日本の文化で育った私は、いつも食べるものは残さないように気を配り、それを誇りにしているが・・・。

しかし、我々はそんなことを誇りにしているものの、例えば、その当時、私が魚河岸から高級スーパーへ配送していた商品の中に「とこぶし」があって、これがどういう訳か毎日一個ずつ出るので、スーパーで検品してくれるおばさんに、「これは毎日一個売れているということですか?」と訊いたら、おばさんは、「ひとつも売れやしないんだけれど、ここは“品揃え”を自慢にしている高級店だからね。売れなくても必ず並べて置かなければならないんだよ。それで『とこぶし』なんてものは一日経てば傷んじまうだろ。だから、毎日売れ残りを処分して、新しいものを取り寄せるのさ」と呆れたように答えてくれた。

他にも魚河岸では、年末に「ホタテの貝柱」が飛ぶように売れるのだけれど、これも「貝のヒモ」などを一々加工場に回していたのでは、手間賃の方が高くついてしまうので、貝柱だけを取ると残りはどんどん捨ててしまう。運転手の先輩が、それを「もったいない」と言って、毎日バケツに一杯我が家へ持ち帰っていたら、そのうち奥さんから「余計なものを持ってくるな」と叱られてしまったそうだ。

また、我々日本人が無駄に消費しているものは食品に限ったものではない。おそらく石油を消費している量も、アメリカ人に次ぐ者は間違いなく日本人であるはずだ(当時は)。私も去年は二回日本へ行って来たけれど、トルコから日本までジェット機を飛ばすためには凄まじい量の石油が消費されるのだという。

トルコでは、犠牲祭の度に、「神に祈って生贄を捧げておきながら、肉を食べ尽くさないまま、無駄にしている」と非難する声が聴かれるが、私はなるべく無駄にならないよう努めながら、犠牲祭の行事は続けるべきじゃないかと思う。

現代に生きる私たちは、他のところでもっと凄い消費を繰り返していて、これはある程度減らせるだろうけれど、結局は生活レベルを維持するために、この「きちがいじみた消費」を続けて行かなければならない。これに比べれば、犠牲祭でいくら頑張って牛や羊を切りまくったところで、その量はたかが知れている。

論語にも、生贄の羊を惜しんだ弟子に対し、孔子が「爾はその羊愛しむも、我は其の礼を愛しむ」と諭した話が記されていた。