メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「トルコにやって来た朝鮮族」

《2008年1月28日付け記事を省略修正して再録》

1999年、イズミルで韓国人の友人チェさんのところで世話になっていた頃である。

夕方、イズミル市内で韓国人の女性が経営していた写真のDPショップに立ち寄ったら、イスタンブールの韓国料理店で見掛けたことのある朝鮮族の男性が店の片隅にしょんぼりと腰を下ろしていた。

朝鮮族というのは、中国で少数民族となっている朝鮮の人々であり、東北3省、中でも延辺朝鮮人自治区に多く住んでいるという。

この男性は延辺の出身、当時、40歳ぐらいじゃなかったかと思う。中国で蛇頭のような組織からトルコの学生ビザを手配してもらい、「学生をやりながらバイトとしても月に二千ドルぐらい稼げる」と言われて、何人もの仲間と一緒にイスタンブールへやって来たそうである。

しかし、直ぐにそれが不可能であると解ってしまい、皆でイスタンブールの大学に掛け合い、組織を通じて振り込まれていた学費を返してもらったのは良いけれど、そのまま不法滞留者となってしまった。

その後、この男性は暫くイスタンブールの韓国料理店で働いていたが、やはり中国からイスタンブールに来ていた朝鮮族の女性が将来を悲観して自殺してしまったり、不法滞留者取り締まりの噂が広がったりしたため、イスタンブールを追われるようにイズミルへやって来たらしい。

DPショップを経営している韓国人女性は、イスタンブールの韓国料理店からも連絡を受けていたようだが、私の顔を見ると、「私たちの韓国料理店で働いてもらっても良いけれど、住むところが困ったわねえ。貴方たちのアパートは、チェ社長と二人だけでしょ。チェ社長には後で良く話しておくから、今日は貴方たちのアパートへ連れて行ってちょうだいよ」と協力を求める。

私としても断る理由がないので、その朝鮮族の男性と一緒に店を後にし、5分ぐらい歩いて郵便局の前を通り掛ると、彼は急にイスタンブールへ電話を掛けたいと言い出した。

私が、「それなら、さっきの写真店から電話すれば良かったじゃないですか。まあ、ここからなら大した距離じゃないから戻りましょう」と言ったら、彼は脅えたような顔をして、「それはいけません。韓国の人たちは恐いです」と言い張り、結局、郵便局から電話した。

それから、歩きながら韓国語(彼にとっては朝鮮語?)で色々話を聞いたところ、「韓国の人たちは人情がなく、仕事の細かいところや時間にえらく几帳面で冷たい感じがする」と言うのである。それは、1988年に私が韓国にいた頃、韓国の人たちが日本人を悪く言う場合に並べる理由と全く同じだったので、なんだか可笑しくなってしまった。

DPショップの女性が共同経営している韓国料理店の調理長は中国の人であり、何処で韓国料理を覚えたのか知らないが、韓国や朝鮮族とは何の関係もない漢族の方だったので、その旨朝鮮族の男性に伝えたところ、彼は急に目を輝かせて嬉しそうな顔をする。

チェさんのアパートは、この韓国料理店の近くにあり、その辺まで来たら、ちょうど向こうから中国人調理長とその家族が歩いて来たので、お互いのことを紹介すると、朝鮮族の男性は満面に笑みを浮かべて調理長の手を固く握り締め、堰を切ったように中国語で話し始めたけれど、その快活な様子は韓国の人たちの前では決して見せたことのないものだった。

この朝鮮族の男性とは、チェさんのアパートで何日か一緒に暮らしたものの、その後彼がどうなったのかは解らない。ちょっと金額までは覚えていないが、彼はトルコへ来るために借金して、中国の組織に、実際の航空運賃と学費の数倍の金を支払ってしまったそうで、それを返済できるまで中国には帰れないと話していた。

しかし、彼が中国人調理長の前で見せたあの笑顔、彼にとっては、朝鮮でも韓国でもない中国こそが紛れもない故郷だったのだろう。