メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

人生百年時代と言うけれど・・・

鹿児島の施設にいる母は認知症が進んで意思の疎通さえかなわなくなったという。昨年の3月に施設を訪れた時も、既に歩行が出来ない状態で、会話するのはかなり難しくなっていた。その後はコロナのために面会不可となり、以来、母には会っていない。このままではあれが最後になるかもしれない。

思えば、その前の1月に会って話したのが「最後の会話」になってしまった。まだ歩いていたし、ファミレスの駐車場で私が乗る車を間違えそうになった話に、「お前は本当に何やってんのかね!」と笑ったり説教したりする元気もあった。

母は2014年の夏まで度々トルコを訪れていた。既に認知症は始まっていたが、10kmぐらいなら平気で歩いてしまうほどだった。

イスタンブールを歩いていて、モスクが見えると全て「アヤソフィア」にしてしまったりしたけれど、少なくともトルコに来ていることは解っていたし、それなりにトルコを楽しんでいるようだった。

しかし、2015年以降、さすがにトルコまで来るのは難しくなった。

そのため、2015年の夏には私が日本へ一時帰国したけれど、あの頃から母の体力は坂を転げ落ちるように衰え認知症も酷くなった。

それでも、私がトルコへの帰途につく日、小雨の降る中、母は藤野の駅まで私を見送りに来てくれた。改札を通り、階段を上り下りしてホームに出ると、駅の外で、傘を差した母がホームの様子を覗っているのが見えたので、良く見えるように屋根のないホームの先端まで出たところ、母は「気をつけて行って来なさい。雨に濡れるから、そこまで出てこなくても良いよ」と大きな声で言い、手を振っていた。

私は何となく、『ひょっとしたら、これが最後になるかもしれない』という思いがして、その姿を胸に焼き付けたけれど、それは昔のようにしっかりした母らしい姿だった。

今から振り返ってみると、本当にあれが最後でも良かったのではないかと思ったりする。母は私の心に母らしい姿のまま残ったはずだ。

もちろん、人間は簡単に死ねない。簡単に死んでしまっては申し訳ないだろう。

しかし、あの時点で母は、認知症が進む中、充分「生」と「死」を闘って来たと思う。神は許してくれたに違いない。

人生百年時代と言われ、ニュースでは100歳を越した老人のもとへ知事が訪れて、祝いの言葉を述べる場面が映し出される。まだ50歳にもならない若い知事が、まるで子供をあやすような調子で老人に話しかけている。

それを見たら、『おいおい、貴方の人生の大先輩だよ。そんな礼儀を欠いた接し方で良いのかよ?』と思った。尊厳もへったくれもないように感じたのである。

100歳を越しても元気に活動を続けている方もいるけれど、皆そうなれるわけじゃない。「人生百年時代」と言って、誰もがそれを目指そうとするのは何処か間違っていると思う。

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