メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

先生の訃報

《2015年12月31日付け記事を省略して再録》

1991年に、イズミルトルコ語学校に通っていた頃、東京大学を退官されてからトルコ研究に来られていた老先生と知り合った。
先生は、私の少々ずれた話もお聞きになり、「貴方の観察は面白い。トルコについて何か本を書いてみなさい」と勧めて下さったうえ、私を勇気づけようとされたのか、次のように言い添えた。
「なあに、トルコについて多少間違ったこと書いても明らかにはならないから大丈夫です。それがアメリカや中国のことだと直ぐに解って叩かれますが・・・」
先生に最後にお目にかかったのは、イスタンブールのタクシムで、93年か94年のことじゃないかと思う。先生は奥様とご一緒に、今のスクエアホテルの辺りに立っておられ、イスティックラル通りの方から歩いて来た私に、大きく手を振っていらっしゃった。
足早に近づいて、頭を下げながら御挨拶しようと思ったら、先生がハイタッチするように手を上に掲げてから振り下ろして来たので、私もそれに合わせて勢いよく『パチーン!』と手を合わせた。先生は私の手を力強く握りしめ、「久しぶり!」とおっしゃった。
その頃は、メールも携帯もなかったし、私は頻繁に居場所を変えていたから、どなたとも連絡を取り合うのはとても難しい状況で、先生にも長い間ご無沙汰していた。タクシムでお目にかかったのも全くの偶然であり、その後、私は日本に帰って、またダンプの運転手などをしていたから、先生とはそれきりになってしまった。

歳月が過ぎ、クズルック村にいた2001年頃、ようやくパソコンを手に入れ、検索という機能を知った私は、ふと思いついて、先生のお名前を検索にかけて見た。そして、最初に現れた記事に息を飲んでしまう。それは先生の訃報だった。
あれから、さらに15年になろうとしている(2015年当時)。

先生が私に勧めて下さったのは、本の執筆だけじゃなくて、英語の学習もあった。「スポーツで右手を鍛えると、不思議なことに左手の力もついてくるそうです。貴方は韓国語とトルコ語を学習されたから、もう一方の力もついているでしょう。勇気をもって英語の学習に取り組んで下さい」
しかし、いずれも実現することはなかった。私の勇気は余りにも貧弱だった。
もちろん、このホームページ(メルハバ通信)に限っては、なんとか一冊の本にならないだろうかと思って取り組んでいた。なしのつぶてだったが、出版社に原稿を送ったこともある。
最近(2015年12月)は、アクセス数もどんどん減って来て、いったいどなたがお読みになっているのだろう、という状態だが、何も書かないでいれば、そのうち書くのが億劫になってしまう。だから、時間がある限りは、とりあえず何か書くようにしている。

そして、書くのであれば、生活に密着した地べた目線の観察をもっと活かすべきだと思う。先生が面白いとおっしゃったのも、そういう地べた目線の観察だったに違いない。
ところが、2013年の6月以降は、身の丈を越えた時事問題の記事が、なんだか随分多くなってしまった。
トルコにとって忌まわしい事件が次から次へと続き、それがまた、一部では意図的とさえ思えるほど歪曲された形で日本に伝えられているのを見て、何か一言書きたい衝動を抑えがたくなっていた。
先生がご指摘になったように、トルコについては、多少どころか、かなり間違ったことが伝えられても、そのままになってしまうらしい。