メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「脱線してしまった人生」

《2014年11月2日付け記事の再録》

81年か82年頃だったと思う。

私は東京で2tトラックによる配送の仕事をしていた。その運送会社には、入れ替わり立ち替わりアルバイトの大学生が働きに来ていて、私のトラックで1日助手を務めてくれた学生もいる。
彼は私より一つ年上だった。何処の大学か訊いたら、某国立大学だそうである。それだけでも凄いが、さらに、当時4年生で、既に某省の内定が決まっていると言うから、私はもう畏れ入ってしまった。
しかし、例えば、配送の仕事中、3箱の荷物をとても重そうに抱えているのを見て、「2箱だけで良いですよ」と言っても、「貴方が3箱持っているのに、そういうわけにはいかない」と譲らず、あくまでも助手の姿勢に徹していた。
翌日からは、1台のトラックを任されて、暫くの間、毎日運転手の仕事を続けていたようだけれど、朝、配送所を出てしまえば、運転手同士が顔を合わせることは殆どないため、彼と会話を交わしたのは、助手を務めてくれたあの1日だけだった。
それでも、30年以上過ぎて思い出せるくらい強い印象を残した。それは、とにかく実直で爽やかな青年のイメージである。もっとも、どんな話をしたのか、会話の詳細までは覚えていないが、以下のように語っていたのを記憶している。
「貴方のような人生も面白いけれど、私の場合、もう前にレールが敷かれてしまったので、なかなかここから脱線してみる勇気が出ない・・・」
2000年頃だったか、この話をメールで日本の友人たちに伝えたら、「嫌な奴、ぶん殴ってやれば良かったのに・・」とか、「高級官僚はレールから外れると自殺してしまったりするそうですよ。その人、まだ生きているかな・・」といった反応が戻って来てびっくりした。
どうやら私は、彼の実直な人柄をメールで巧く伝えられなかったようである。それ以前に、私が脱線した人生を結構楽しんでいることも、友人たちには余り伝わっていなかったのかもしれない。とても残念に思った。
それから数年して、またこの話を思い出し、試しに、彼の苗字、出身大学、某省で検索を掛けてみたところ、見事にヒットした。当時は某県の副知事を務めていたのである。
今日(2014年11月2日)、また検索してみたら、既に本省へ戻り、ますます栄達して御活躍のようだ。小さな画像も出てきて、それを見ると、なんとなく実直で爽やかな青年の面影がまだ残っているように感じられる。
あるブログには、某県時代の印象が、「・・・本音を語る人だった。省庁に働いて世の表裏を学ばなかったはずはないが、それでも、若き日の思いを抱いて仕事をしていた」と記されていて、何だか感動してしまった。30余年前も、偽らざる本音を語ってくれたのだと思う。