メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「ムルレア・ムルレア(糸車よ、糸車よ)」

《2017年2月19日付け記事の再録》

韓国への語学留学を準備していた86年頃だったと思う。東京の池袋で、韓国映画の会が催され、産経新聞の黒田論説委員の講演と共に、「ムルレア・ムルレア(糸車よ、糸車よ)」という作品が上映された。
早めに出かけて、入口の前に置かれたパンフレットを見ていたところ、近づいて来た若い女性に、「これ、頂いても良いのかしら?」と訊かれ、「ええ、良いと思いますよ」と答えた。
交わした言葉はこれだけで、彼女の姿も直ぐに見失ったが、私の脳裡には、その会話と彼女の印象が深く刻み込まれていた。 
1年半ほど過ぎ、ソウルの延世大学語学堂に通っていた私は、休日に地下鉄で東大門の辺りまで出掛けた。
そして、電車がウルチ路駅の辺りまで来た頃になって、目の前に何処か見覚えのある美しい女性が立っているのに気がついた。
私は彼女の様子をチラチラ窺いながら、必死に何処で会ったのか思い出そうとしたけれど、結局、それが日本だったのか、韓国だったのかも思い出せないまま、彼女は二つぐらい先の駅で降りて行った。 
翌日、進級後の新しい教室に入った私は、驚きで心臓がとまりそうだった。地下鉄の彼女が目の前に座っていたのである。
ようやく落ち着きを取り戻してから、『なんだ、何処かで見たと思ったのは、語学堂だったのか?』と考えたその刹那、電撃が走ったかの如く、突然、全てを思い出した。それは「ムルレア・ムルレア」の彼女だった。
多分、相当感情が高ぶっていたのだろう。私は思い切って彼女に話し掛け、地下鉄で出会ったと伝えた。
彼女は、私のことなど全く記憶になかったようだが、お互い何処へ行ったのか聞き合ったりして、なんとか会話を成り立たせることができた。 
しかし、調子に乗って、「ムルレア・ムルレア」の一件を持ち出したら、驚いた彼女の顔から笑みが消え、「それって、もう2年ぐらい前の話じゃありません? なんでそんなことまで覚えているんですか?」と当惑した表情になり、用事を思い出したと言い残して、その場を離れてしまった。 
高ぶっていた感情が一気に冷やされた所為か、頭の中が随分涼しくなって、以後、語学堂にいる間、周囲の女性たちを意識することはなかった。
まあ、意識したところで、的外れを繰り返して、辺りを寒くしただけに違いないから、あれで良かったのかもしれない。

merhaba-ajansi.hatenablog.com