メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコは民主主義の国なのか?

この「トルコは制御不能か?」という論説の中で、グラハム・フラー氏は「エルドアンが野党への圧力を強めているとはいえ、トルコは未だ民主主義の国である」と述べ、その例として、昨年の地方選挙における与党AKPの敗北を上げている。

あの敗北では、AKPと連合を組んでいるMHPのバフチェリ党首が首尾一貫して再選挙を要求したのに対し、エルドアン大統領は何度も態度を変えて、何だか権力者とは思えない不甲斐なさを見せていた。

挙句の果てに、再選挙ではさらに票差が開き、恥の上塗りとなってしまった。

AKPは、2015年の国政選挙でも過半数議席を失い、組閣できなかったために行われた再選挙で辛うじて過半数を取り戻している。

この時もエルドアン大統領は、往年のライバルである野党CHPのバイカル氏をわざわざアンタルヤから呼び寄せて2時間以上も話し合い、ちょっと頼りない印象を残している。

当選議員の中で最年長(当時76歳)のバイカル氏は、新国会議長が選出されるまで規定上議長を務めることになっていたので、表向きは国会運営についての意見交換とされていたものの、当時のバイカル氏は野党の党首でさえなく、一介の野党議員に過ぎなかったのである。

これを非民主的なロシアのプーチン大統領らと比べれば、トルコが如何に民主主義の国であるか解るような気がする。

また、トルコの司法は、公正であるかどうかはともかく、ある程度の独立性を維持しているように思える。

かつては軍と並んで、民選の行政府を凌ぐ、最強の権力機構と目されていたのに、かなり力を失って、政府に対して日和見的な判事が増えたと言われているけれど、今でも骨のある判事は少なくないらしい。

しかし、軍も相当な独立性を維持していると思われるので、これは「三権分立」とは異なる状況だろう。

トルコの政治は、軍・司法・官僚機構・政府の間の力関係に基づいて、微妙なバランスの上に成り立って来たのではないだろうか? エルドアン政権が長期に及んでいるのは、そのバランスを巧みに維持して来たからであるかもしれない。

ところが、最近は準戦時下と言っても過言ではない状況が続いていた所為か、軍、そして軍との関係が深いとされるMHPの力が非常に強くなってきたように思われてならない。

例えば、エルドアン大統領が何らかの要因で次回の選挙に出馬できない事態に陥ったと仮定した場合、AKPの候補として現国防相で前参謀長官のフルスィ・アカル氏が出て来ても驚いてはいけないような気がする。

しかも、この軍は、かつての西欧に従順なトルコ軍ではない。「我々が血の代償で得た北キプロス」と主張する軍なのである。

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