メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2009年の「ダボス事件」/オザルの前とオザルの後?

昨日、上記の駄文で、「エルドアン大統領の言動は、オザル大統領のように無謀ではない」みたいなことを書いてしまってから、2009年の「ダボス事件」を思い出した。

ダボス会議のパネルディスカッションに、イスラエルの故ペレス首相らと共に登壇したエルドアン首相(当時)が、パネルの終了を告げる司会のイグナシアス氏を制止して、パレスチナを非難するペレス首相の発言に抗議した後、席を蹴り退場してしまった事件である。


Turkish PM Erdogan walks off stage in clash over Gaza

これも、その後の展開を見るならば、当時のギュル大統領といったトルコ国内の極端な親欧米派を牽制する狙いがあった等々の解釈は可能になるかもしれないけれど、シナリオにないエルドアン首相の感情的な言動だったとも考えられる。果たしてどうなのだろう?

オザル氏にしても、首相任命式でエヴレン大統領を抱き寄せてしまった場面は、主導権を握るための計画的な行動と見ることが出来る。

しかし、オザル氏には、エルドアン氏と比較できないくらい破天荒なエピソードが多かったのは確かだろう。その政治家としての業績も遥かに革命的で破天荒なものだった。

エルドアン大統領は、保守派のジャーナリストのフェフミ・コル氏が、「アヤソフィア・モスクの復活も、故オザル大統領であれば、もっと早く実現していたはずだ。エルドアン大統領は余りにも慎重だった」と多少批判的な調子で語っていたように、何をやるにも充分に時間をかけて進めて来たのではないかと思う。

私がトルコで暮らし始めた90年代、「オザルの前、オザルの後」なんて言い方が良く聞かれた。1983年に始まったオザル政権を前後して、トルコの社会は大きく様変わりしたという。

それまでは、半社会主義的な国家体制のため、それほど競争意欲もなかった人々による穏やかな雰囲気が社会の隅々に感じられたらしい。

その頃、滞在されていた日本の方から伺った話によれば、ツーリズムなどという概念もなく外国人観光客の姿も目立たなかった当時、タクシーに乗ったりすると、運転手さんは「そんな遠い国から来られた客人から頂くわけにはまいりません」と料金の受け取りを拒否した挙句、食事まで御馳走してくれたりしたそうだ。

ところが、「オザルの後」になって、競争と経済的な欲望に目覚めてしまったタクシー運転手さんたちの一部は、外国人観光客と見れば『ぼったくってやろう』と大回りして高額な料金を請求するようになってしまった。

徐々にそういう短絡的な金儲けでは長続きしないことが理解されて、「ぼったくり運転手」などは少なくなって来たけれど、トルコの社会が世知辛くなる傾向は今でも続いているような気がする。

とはいえ、それも産業化に伴う当たり前な現象と言えるのではないかと思う。