メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日韓カラオケ:「本当はどういう歌なのか?」

コロナ騒ぎの所為で、「職場の先輩たちとカラオケへ」などという局面もめっきり減ってしまったのではないかと思う。

還暦の私も、警備員の職場では、新入りの若造に過ぎないので、カラオケに行けば、一回り年上の先輩たちから、「こら、何か歌え!」といじられても仕方がない。カラオケの機会がなくなったのは実に幸いだった。私は酷い音痴で、まともに歌える曲など殆どないのである。

そもそも、なんとかカラオケで歌えるようになったのは、歌い出しと歌詞が画面に表示されるカラオケビデオが登場してからのことだ。

以前のテープの伴奏を聴きながら、歌詞カードを見て歌うヤツだと、伴奏が終わっても歌い続けていたり、逆に早く歌い終わってしまったりして、いつも恥をさらしていた。

「青春時代の~♪」といったバックコーラスが入る曲は最悪だった。全く関係のない所で、突然、バックコーラスが入って来てしまうのである。

しかし、1989年、ソウルでの語学留学を終えてから就職した本社韓国の東京支店にいた頃は、本社からの出向社員だった先輩のパクさんに連れられて赤坂の韓国パブなどへ行き、私も酔いに任せて良く歌ったりした。

でも、一応は周囲に気兼ねして、なるべくバラード調の曲を避け、平易な行進曲風のものを歌うようにしていた。これだと、調子っぱずれになっても、ある程度は愛嬌で済むからだ。渋いバラード調の曲を思いきり外すと、そういうわけには行かない。

それで、韓国語なら「서울의 찬가(ソウル賛歌)」、日本語では「東京ラプソディ」というのが私の定番だった。特に「東京ラプソディ」は、なにしろ古い歌だから、日本人客の間でも余り知られていないという利点があった。

パクさんは、「韓国語の歌は、なかなか発音も良いですよ」なんて、いつも励ましてくれたものの、私が「東京ラプソディ」を歌っていると、なにやら難しい顔して私の歌声に耳を傾けているのが常だった。

ところがである。ある日、なんと年配の日本人客が、あろうことか「東京ラプソディ」を私より先に歌ってしまったのである。

この時もパクさんは、ちょっと難しい顔でその歌声を聴いていたけれど、歌が終わったらニコッと微笑んで、「あっ、こういう歌だったのですね」と言ったのである。

私が思わず『えっ?』と怪訝な表情でパクさんの方を見たところ、パクさんは済まなさそうに苦笑いしながら説明してくれた。

「いやあ、ニイノミさんの歌は、いつも微妙に違っているので、『本当はどういう歌なのかなあ?』と気になっていたんですよ。それが今日、やっと解りました」。

パクさん、それまでは私が何処でどのように外しているのか見当もつかないので、いつも難しい顔して悩んでいたのだろう。


藤山一郎_東京ラプソディ Tokyo Rhapsody (1936)