メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ・日本・韓国・それぞれの歴史にまつわる悩み

《2016年10月10日付け記事の再録》

トルコの人たちから、「貴方は、“ブディスト”ですか、“シントイスト”ですか?」と良く訊かれる。以前は、これに「両方です」などと簡単に答えていたけれど、そのうち、『果たして、この問いは、日本語にどう訳したら良いのだ?』という疑問が生じてきた。
“ブディスト”は「仏教徒」で良いかもしれないが、“シントイスト”に相当する日本語はあるんだろうか? 「仏教徒」も何だか、明治以降に作られた言葉であるような気がする。
ぼんやり考えてみると、江戸時代は、日本人の100%近くが、宗門人別改帳に、何処かの寺の檀家として記載されていたはずだから、改めて「貴方は仏教徒ですか?」と問う必要はなかったに違いない。
神社の方はどうだったのか、今ちょっと調べてみたら、“氏子改”が行われるようになったのは、なんと明治になってからだそうである。その背景には、“廃仏毀釈”といった問題があったらしい。
とはいえ、江戸時代にも“お伊勢参り”は盛んだったようだし、おそらく100%近い人々が、氏神信仰を持っていたのではないか? そうなると、「貴方は、“シントイスト”ですか?」なんて問いは、やはり必要がないため、“シントイスト”に相当する言葉もなかったのだろう。
これに気が付いてからは、歴史や宗教について、それなりの知識も興味もありそうなトルコの人たちには、「日本の場合、宗派はともかく、宗教そのものが身分証明になることはなかったから、それを問われることもなかったのです」とか知ったかぶりして答えていた。
トルコに限らず、大陸では多くの地域で、宗教が重要な身分証明になって来たはずであり、この辺りからして日本は大分異なっていたと思う。
しかし、こうして、日本の文化や歴史についての質問に、知ったかぶりで答えていると、直に行き詰って狼狽することになる。
明治神宮の由来を尋ねられて、「明治天皇が祀られているのです」と答えたところ、「じゃあ、他の天皇は何処に祀られているの?」と追い討ちをかけられた時もそうだった。私は、祀られている社と陵墓の区別もついていなかったのである。
それから、慌てて調べて、明治になるまでは、歴代の天皇が、泉涌寺という真言宗の寺に葬られてきた歴史を、ようやく知るに至った。言い訳するなら、中学・高校の授業で、こういう歴史は教えてもらわなかったような気がする。

日本の習俗・伝統は、明治維新を境に大きく変わってしまい、今、私たちが日本古来と思い込んでいる伝統の中には、明治以降に創られたものが少なくないらしい。
それどころか、日本が何とか国家の体裁を整えたのは、明治になってからであり、国家としての日本の歴史は、明治と共に始まったと言っても良いのかもしれない。
そこへ行くと、トルコは、オスマン帝国以来の壮大な国家の歴史を誇れるはずだが、一部の人たちは、長い間、これを否定してきた。「トルコ共和国は、オスマン帝国とは何の関連もない国家である」とまで言う人もいた。
そのため、却ってトルコでは、共和国以来の「新しい伝統」と思い込んでいたものが、意外にも、オスマン帝国の時代から続く伝統だったりして驚く。
先日は、フェネルバフチェというサッカーチームの創立が1907年であることを知って驚いた。トルコの西欧化は、オスマン帝国に始まっているのだから驚いてはいけないが、サッカーチームには何となく共和国的な伝統を感じていたのである。

もちろん、私ら日本人も国家などという仰々しい形ではなく、日本の国柄や文化の成り立ちを振り返ってみれば、その長い歴史を誇っても良いのではないかと思う。今はモダンに装いを改めているものの、創立は200~300年前まで遡れる商店等も多い。
しかし、2015年の夏にソウルの街を歩きながら、また考えてしまったけれど、韓国の場合、報道や教育といった文化的な事業には、日本統治時代に始められたものや、日本人が運営していた機構を独立後に引き継いだ例が少なからずある。
そういう歴史を直視するのは、非常に辛いだろう。これに比べたら、トルコの一部の知識人が、オスマン帝国の歴史を否定しようとするのは、実に贅沢な悩みであるかもしれない。

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ソウルの新世界デパート本店(日本統治時代には、三越京城支店だった建物)

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イスタンブールフェネルバフチェ・スタジアム