メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコと韓国の家庭料理

昨日、1988年にソウルで訪れた韓定食の名店に関する記述をネットで探してみたけれど、結局、見つからなかった。「미원(ミウォン)」という店で、漢字表記は「味元」じゃなかったかと思う。地下鉄の「성신여대(ソンシンヨデ・誠信女大)」駅の近くだったと記憶しているが、これも確かとは言えない。

韓定食というか「宮廷料理」といった格式の料理の数々は、筆舌に尽くし難いほど感動的であり、古い伝統的な韓屋による店の雰囲気も実に素晴らしかった。個室のみの予約制で、料理はお任せのコースに限られていた。

韓国の大学教授の筆による「韓国の百味(?)」といった表題の案内書でも、「미원(ミウォン)」には、他の料理店に関する記述とは異なる重厚な一文が捧げられていた。この本は、後に日本語訳されて、日本でも出版されたが、そういえば当時は未だ、韓国の本に漢字表記の表題も少なくなかったのである。

しかし、「미원(ミウォン)」の料理は、実に感動的ではあったものの、一般の家庭でも丹念に真心を込めて作れば、それに近い味は出せるのではないかと思ったりした。特別な技巧を凝らした料理は余りなかったような気がしたのである。

後年、トルコを訪れた日本在住の中国の方は、トルコの家庭料理が美味しいと聞いて、「それなら、この国には豊かな食文化があるということですね。残念ながら、日本に食文化と言えるようなものはありません。あるとすれば、それは職人の文化です」と話していた。

つまり、彼女によれば、誰が作ってもそれほど変わらない味になる確固たるレシピが、数多く各々の家庭に伝承されていてこそ「食文化」と言えるのだそうである。確かに、トルコや韓国では、一般の家庭に招かれ、多彩な料理の数々でもてなされたことが度々ある。そして、その料理の美味しさとレパートリーの豊富さに驚かされた。しかも、トルコにしても韓国にしても、味覚は非常に保守的な傾向があり、豊富なレパートリーの数々も全て伝統的な自国料理だったのではないかと思う。

ところで、中国の家庭には招かれた経験がないけれど、あの中華料理の「火芸」としか思えない職人技、あれは家庭で再現できるものだろうか? まあ、中国の場合は、「食文化」も「職人の文化」も共に豊かであるということなのかもしれない。

しかし、そうなるとトルコや韓国では、「食文化」に比べて「職人の文化」がやや見劣りするということになってしまう。トルコはともかく、韓国においては、かつて職人の名誉が社会的に認められていなかったためなのか、職人の側に少なからず怠慢もあったような気がする。美味しい料理で店が繁盛すると、不動産等に転業してしまったりするので、老舗の料理屋も殆どなかった。あれでは職人の技術も継承され難かったに違いない。

さて、客人への「おもてなし」を鮨屋の出前で済ませてしまったりする日本は、家庭の側に怠慢があるということかもしれないけれど、そもそも日本料理のレパートリーは、トルコや韓国のそれに比べて、もとより多少貧弱であるような気がする。鶏肉の他には、肉料理の伝統もなかった。今、日本の家庭の食卓から、カレーライスやハンバーグといった料理を除いて、伝統的な日本料理だけになったら、どれほど貧弱なものになるだろう?