メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

コロナ騒ぎの脅威

コロナによる脅威は、病気そのものより、経済的な打撃や人々に与える心理的な不安などが大きいかもしれない。上記のサイトでは、そのために「若年・壮年者にとって新型コロナは脅威でない」「感染者が増えるのは心配ない」「日常生活を取り戻そう」という3つのメッセージを政府が発信すべきだと提言されている。

しかし、日本では死亡者が少ないと言っても、その理由が明らかにならないと多くの人たちは安心できないようである。これまでに様々な仮説が出ているものの、それに対する反論も相次いでおり、私のように医学的な基礎知識に欠ける者は是非の判断を下しようもない。

また、コロナに脅威を感じている人たちに対して、「人間は遅かれ早かれ必ず死ぬ」なんて言ったところで何の慰めにもならないだろう。私もこれを素直に受け入れられるかどうか怪しいものだ。いち早く、死亡者の少ない要因が究明されることを祈りたい。

とはいえ、医学的な知識がなくても、これまでに発表されてきた死亡者等の数字を見れば、リスクがどのくらいであるかは解るような気もする。1970年代の「交通戦争」で年間1万~1万5千人もの人が亡くなっていたことを思い起こせば、それほど大きなリスクでもないだろう。

もっとも、これは、今後もコロナの死亡者が急激に増えることはないという仮定に基づいているかもしれないが、私は良く解らない未知の脅威に対して、いつも余り心配しないことにしている。「来る某年に大地震が起こる」とか「地球に隕石が衝突する」とか一々心配していたら限がないはずだ。

例えば、夜勤明けの今からコロナの感染源となっている混雑したエリアへ行くのと、鹿児島辺りまでトラックを走らせるのと、どちらが良いかと問われたら、もちろん感染源の方へ行く。というより、昨夜の僅かな仮眠で今も眠たいのに、鹿児島まで走るリスクは到底負えない。25年前、体力がもっとあった頃でも嫌だったに違いない。自分が死ぬ危険もあれば、相手を殺してしまう危険もある。

それこそ、1970年代の「交通戦争」の最中、トラック運転等に従事する人たちは相当なリスクの下に働かされていたと言って良いだろう。

冷静にリスクを考えれば、現在のコロナを恐れる必要など殆どないように思えるのだが・・・。