メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ビュユック・アヤソフィア・ジャーミー(大アヤソフィア・モスク)

アヤソフィアが再びモスクとなることが決まった。名称は以前と同じように「ビュユック・アヤソフィア・ジャーミー(大アヤソフィア・モスク)」になるらしい。

キリスト教のイコン(モザイク画)は、開閉式カーテンで礼拝時に覆うことを検討しているそうだが、技術的に難しい可能性もあるという。歴史的な遺産に損傷を与えぬよう注意しなければならないからだ。

他には、特殊な照明により、礼拝時はイコンを見え難くする方法があり、当面はこのやり方が取られるらしい。しかし、カーテンにしても照明にしても、見えないだけで礼拝時もそこにはイコンがあるわけで、なんとも大らかなものだと思う。

とはいえ、アヤソフィアがモスクになることには内外からの相当な反発があるだろう。既に、厳しい非難の声がいくつも報道されている。トルコ国内では、政教分離主義者や正教会等から非難の声が上がっているけれど、アルメニア正教会に限っては、決定前の論争の段階で「モスクとしての活用を支持する」と明らかにしていた。アヤソフィアは宗派の如何に拘わらず「信仰の場」として建設されたからだという。

いずれにせよ、特に欧米からの反発がどれほどの規模になるのか、それに対してトルコ政府がどう応じるのか、今後の展開が気になるところである。

正教会のルムの家族とささやかな交流がある私としては、これを機会に懸案だった「ハルキ島(ヘイベリ島)の正教会神学校の再開」がなんとか実現されることを望む。バランスを取ろうとするなら、こちらも解決されなければならないと思うからだ。トルコの人たちに特有な優れたバランス感覚に期待したい。

私がトルコで暮らし始めた1991~4年頃を振り返ると、「アヤソフィア博物館がモスクになる」なんて決して有り得ないことだった。しかし、その後の20年の間に、いくつもの「決して有り得ない」という前提が崩されて来たものの、言われたほど恐ろしい状況には陥っていない。

スカーフの解禁にしても、「決して有り得ない」と思い込まされていたことの方が余り正常とは言い難いような気もする。アヤソフィアの場合も、モスクが博物館になった背景には「米国の強い要望」があったらしい。それは独立国として正常な意志決定の過程だっただろうか? もちろん当時は、それが、やっと独立を勝ち得た国の現実的な判断だったに違いない。当時と同様、今回の判断も誤りではないことを祈りたい。

思えば、この20年の間にトルコを取り巻く状況は大きく変わった。「決して有り得ない」という前提がまず始めに崩されたのは、あの「ソビエトの崩壊」だったかもしれない。

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2016年7月