メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

リモート・イフタル(夕食会)?

コロナの話題ばかりで忘れていたが、昨日でラマダンも終わりバイラム(祝祭)が始まっているようだ。

しかし、トルコではラマダン期間中も外出禁止令が出されたりして、断食明けの夕食イフタルも本来のように親族や友人たちが集まって楽しむことができなかったらしい。日本では「リモート飲み会」も試みられているそうだが、トルコでもそうやって集まる人たちはいただろう。(もっとも多くの人たちは飲んだりしないはずだが・・)

実際、私は9年ほど前の8月、イスタンブールでそういった「リモート・イフタル(夕食会)」に接した経験がある。当時、高校の宗教科の教員を定年で退職したばかりの友人と共に、バイラム前夜のイフタルに招待された時のことだった。

友人を招待したのは高校の同僚で、彼女は理科の教員だったが、彼女も含めてその家族は西欧風なトルコ人であり、ラマダン中、どのくらい断食を実践していたのか疑わしい雰囲気も感じられた。トルコにはバイラム前夜のイフタルを盛り上げるため、その日だけ断食するという人が結構少なくないのである。(もちろん、その日もしないままイフタルを楽しむ人たちもいる)

友人は導師養成高校を経てアンカラ大学でイスラム宗教学を修めたエリートであり、毎年、招待されてイフタルの前にコーランを読誦する慣わしになっていたそうである。

家族の面々は皆モダンな服装で、女性は半袖やノースリーブだったりしたが、読誦の始まる頃になるとスカーフを被ってショールを羽織り、イスラム教徒としての体裁を整えていた。

友人の読誦は10分ぐらい続いたのではないかと思う。一応前にアラビア語で記されたコーランを広げていたものの、ページを捲る際に最初の行を確認している程度で、ほぼ暗唱と言っても良かっただろう。素晴らしい読誦だった。

読誦を聴いていたのは、私とその家族だけではない。当時、カナダに住んでいた親族の若夫婦もパソコンの画面を通して聴いていたのである。友人は読誦が終わると、今度はトルコ語で家族の一人一人について「大学の受験が巧く行きますように・・・」といった祈りの言葉を捧げていたけれど、カナダの若夫婦を忘れて立ち上がってから、慌ててパソコンの前に座り直し、彼らの幸せも祈っていた。

私は他のイスラム諸国の状況を知らないが、トルコではこんなイフタルの光景も特に珍しくはなかったと思う。

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昨日、「東本願寺は観光名所というより『信仰の場』としての印象が強い。・・・」などと記してしまったけれど、京都にお住まいの方から「本願寺は観光寺院ではないので拝観料を取らないのでは・・・」というご指摘を受けた。それまで気が付かなかったというのは、何とも間が抜けているものの、コロナ騒ぎのため、東大寺なども堂内への立ち入りを規制している代わりに、境内への入場は拝観料を免除したりしていたので、その辺りがぼやけてしまっていたかもしれない。そういえば、イスタンブールの歴史的なモスクや教会も「信仰の場」であり観光寺院ではないため、「拝観料」に値するものはなかったのである。