メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

コロナという大義名分/トルコの識者の論説

米中の対立も軍事衝突に至ると思っている人は殆どいないだろう。だから安易に対決を煽ったりする。

米国は経済戦と情報戦でソビエトを崩壊させてしまったのだから、また同じようにやる算段なのかもしれない。

その大義名分として「コロナ」を掲げたり、「中国共産党の独裁」を非難したりしているけれど、本当のところは「中国が余りにも強大に成り過ぎてしまった」ということじゃないかと思う。自分たちの地位を脅かす者は誰であれ叩きのめさないと気が済まないらしい。

そのため、仮に中国が国民党主権の下、西側の枠組みの中で発展を遂げていたとしても左程変わらない状況に至っていたような気もする。ひょっとするともっと早く成っていたかもしれないし、「黄禍論」のような雰囲気の中で日本も巻き添えにされていたかもしれない。

大義名分など、都合次第で何とでもなる。実際、民主的なトルコも「エルドアンは独裁者」という情報戦(心理戦)を仕掛けられて酷い目にあわされている。この「独裁者」であるとか「少数民族云々」で仕掛けると、その情報戦(心理戦)に各国の左派勢力も同調してしまうのが狙いであるような気がしてならないけれど、どうなんだろう?

ベネズエラ共産主義者マドゥロ大統領がやり玉に挙げられた際、トルコの右派紙は「左翼はまたしても同志を裏切った」などと書き立てていた。今回も反米の日本共産党まで「コロナ危機」に同調しているように思われるが、あれは米国の思う壺じゃないだろうか?

「コロナ危機」は大きければ大きいほど、中国叩きの大義名分として有効になる。インフルエンザと同じでは役に立たない。

一昨日、トルコの右派サバー紙で、ハサン・バスリ・ヤルチュン氏は次のように書いていた。

「これは歴史上初めての疫病禍ではない。最も大きいものでもなければ最後でもないだろう。歴史上、もっと大きな人的被害をもたらし、経済的、政治的に、より重大な打撃を与えた疫病禍が起きている。その後はどうなったのか? 人々は立ち止った所からまた歩み始めた。今回もそうなるだろう・・・・」

続いてヤルチュン氏は、今後、グローバリズムの傾向が多少後退して、国民国家や地域経済の重要性が高まるものの、それはコロナによってもたらされたものではないと論じたうえで、次のように締めくくっている。

「これはコロナ以前に、米国が引鉄を引いたプロセスである。いつの日か、また異なる方向に進化するかもしれない。しかし、今のところは誰もがこの条件に従って合わせるのが最も正しいことである。」

おそらく、トルコの政府も日本の政府も、そうやって条件に合わせようとしているのだと思う。

《5月18日付けサバー紙:ハサン・バスリ・ヤルチュン氏のコラム》