メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

インプラント~近視のレーザー治療~帝王切開

《2013年2月27日付け記事の再録》

巨大歯科クリニックで、私もインプラントを勧められたけれど、トルコではこれが結構流行っている。私の周辺でも2~3例があった。
一つには、歯科クリニックが収益を上げようと積極的に勧めているのかもしれないが、一方で、トルコの人たちの新しいもの好き、最先端テクノロジーとやらへの無条件の賛同、といった要素も影響しているように思える。

近視のレーザー治療は大分前から流行っていて、低廉な治療価格を謳い文句に、海外からも患者を誘致しているそうだ。
それから、帝王切開。トルコで通常分娩と言ったら帝王切開のことじゃないかと思えるくらい多い。これには、忍耐、辛抱、我慢が余り持て囃されない、もう一つのトルコらしさも関わっているような気がする。
もちろん、ここでも医療費を吊り上げようという目論見は明らかなようである。また、帝王切開にすると、自然分娩のように、いつ産気付くのか気にしなくても良いため、病院側は予定を組み易くなり、患者の数を増やすこともできるらしい。トルコの新聞にそう記されていた。
これじゃあ、何だか流れ作業でどんどん妊婦さんの腹切っているみたいで、ちょっと恐ろしくなる。
日本の場合、女性側にも「子供は天の授かり物だから、自然分娩にしたい」という要望が多く見られたというけれど、今はどうだろうか?
トルコの人たちは、イスラムを信仰しているはずだが、「子供は天の授かり物」なんてことには余り拘らないらしい。私は、時々、無宗教の我々日本人の方が、よっぽど信仰があるんじゃないかと思ったりする。

人が宗教を必要とするのは、“生老死”といった私たちにはどうすることも出来ない事象を神なり何なりに任せて、何処かで「しょうがない」と往生際良く諦めなければ、苦しくなってしまうからではないかと思うけれど、私たち日本人は宗教に教えられなくても、無意識に「しょうがない」で済ませて諦めようとしているのかもしれない。
こちらのトルコ人の中には、なんとも往生際の悪い人たちが多くて、『もう済んでしまったことだから、しょうがないだろ?』と言いたくなったことが何度かある。要するに、往生際が悪いので、それだけ宗教を必要としているのだろうか?
他にも、イスラム教では、「食べ物は天の恵みだから粗末にしないように・・・」と説かれていて、その為に断食やったり、犠牲祭で生贄を捧げたりしているのに、食事を平気で食べ残してポイと捨てる人がとても多い。

クズルック村工場の食堂で、私はまず食べ残したことがなかった。トレーを持って並んで、厨房の人に盛り付けてもらうシステムになっていたから、食欲がなければ、「それ少しにして・・」と注文を付けることができたからである。
そういう私を見て、敬虔なムスリムトルコ人マサルさんは、「貴方こそ、真のムスリムだ」なんて良く賞賛してくれたけれど、これの何処に褒められる要素があるのか全く理解できない。
他の日本人の出向者の方たちは、言葉が解らなかったりするから、食べたくないのに盛り付けられてしまって食べ残すこともあっただろうけれど、大概の場合、やはり綺麗に食べていた。
こういうのは幼い頃から生活習慣として身についているから何処へ行っても自然に出てくるんじゃないかと思う。食べ残したら、何だかとても申し訳ないような感じがして、嫌な気分になるから、無理にでも食べようとしてしまう。
イスラムの人たちはそういう風に感じないのだろうか? そういえば、トルコでは、バイキングで皿にたくさん取って、半分ぐらい残してしまう人も少なくない。いったい、何を考えているのだ・・・。
と書いてきたけれど、統計上、世界で最も食べ物を無駄にしている国は日本とアメリカらしい。個人個人は気をつけていても、イベント等で大量に高価な食品を無駄しているし、コンビニの売れ残りもどんどん廃棄される。六本木辺りで馬鹿みたいに飲み食いして、食べ残している連中もいるだろう。トルコの皆さん、文句言ってすみません。ああいう奴らが地獄に行くよう祈ってください。

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