メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

全寮制の我が母校

鹿児島では、ラサール高校の様子も見に行って、それを写真に収めて来た。私の母校は、全寮制の高校だったので、やはり寮のある進学校として有名なラサール高校には、高校生の当時から非常な関心があったのだ。
当時は、ラサール高校も全寮制であると思い込んでいたため、「同じ制度の兄弟校」のような親近感を懐いていたけれど、今調べて見たら、ラサール高校はどうやら全寮制というわけではないらしい。それ以前に、私たちの頃は既に優秀な進学校とは言い難かった我が母校を「兄弟校」にしたら怒られてしまうだろう。
母校は「東京都立秋川高等学校」と言う。1960年生まれの私は12期生だったが、その後、34期まで存続して廃校となった。募集に応じる生徒が減って維持できなくなってしまったそうである。「全寮制」などというのは、当世、あまり受けが良くないのかもしれない。
55年前、東京都が、何故、全寮制の高校を設立したのかと言えば、当時は都内の八丈島などの離島に高校がなかったうえ、都内には両親が海外へ出向している児童も多く、寮の必要性が高かったためらしい。
それが離島にも高校が設立され、私立高にもっと設備の良い寮が作られるようになると、年々、応募数が減り始め、私たちの次の期では早くも定員を割っていたのではなかったかと思う。
そのため、私たちが入学する以前から、「離島の在住者」であるとか「海外出向者の子弟」といった基準が緩和され、「教育上、好ましくない状況にある家庭の子弟」も対象に含まれるようになっていた。一定の基準が設けられていたのは、都立高校であったため、学費も寮費も格安に抑えられていたからだ。
私の家庭は、中学校3年に進級した頃から既に「崩壊」の兆しを見せ始めていた。映画やテレビドラマには、家族の絆を取り戻そうと努める健気な少年が登場したりするけれど、当時の私にそういう殊勝な気持ちは全くなく、崩壊する家から逸早く逃げ出そうとして全寮制高校への進学を企図したのである。
まずは、担任の先生に「進学の希望」を相談したところ、「かなり好ましくない状況でなければ審査基準を通らないかもしれない」と言われ、先生が申請書を巧く作成することになった。その申請書には、「父親が酒乱であり・・・」と凄まじい家庭の状況が記されていて、母は「あの先生も他人の家のことを良くここまで書けるねえ。うちのお父さんもまさかこれほど酷くないよ」と笑っていた。先生は私の進学のために、かなり苦心してくれたのである。
しかし、何か拙い状況に陥れば直ぐに逃げ出そうとする私の根性では、如何なる素晴らしい学校の制度も役には立たなかっただろう。せっかくの全寮制も私の役には立たず、非常に残念ではあるけれど、高校生の時期にああいった集団生活を送るのは、決して無意味なこととも思えない。寮制の学校をもっと増やす工夫はないものだろうか?

*そういえば、以下の駄文に登場するY先生は、ラサール高校の出身である。ここでは下らないネタを使ってしまったものの、Y先生も文武両道の熱血漢だった。


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ラサール高校