メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

逃亡劇に使われたコントラバスの箱と棺桶

カルロス・ゴーン氏の逃亡劇、トルコの昨日の各紙を見ると、いくつかのコラム記事に事件の詳細が記されていた。目を通した中では、ハベルテュルク(HaberTürk)紙のギュンタイ・シムシェク氏の記事が最も詳しく説明されていたように思う。

日本でも既に報道されているのかもしれないけれど、イスタンブールのアタテュルク空港では、カルロス・ゴーン氏が歩いて飛行機を乗り換えているシーンが設置されているカメラに捉えられていたそうだ。事実であれば、空港の職員が何故これを見逃していたのか問われることになるだろう。シムシェク氏もこれを指摘している。

シムシェク氏によれば、逃亡劇の経緯は次のようであったらしい。

まず、タルカン・セルというトルコ人事業家が保有するジェット機が、12月28日にドバイで2人の米国人を乗せて関空へ飛び、翌日、ゴーン氏と共にイスタンブールへ向けて離陸、イスタンブールではアタテュルク空港に着陸する。

2人の米国人は飛行機を降りて手続きを済ませ、翌30日にイスタンブール空港(新空港)から米国へ飛び立っている。そして、ゴーン氏は空港内で歩いて飛行機を乗り換え、ベイルートへ向かったというのである。

もちろん、ゴーン氏の名は記録に残っていない、記録上、ベイルートへ飛んだのは搭乗員以外にMNGカーゴの商務部長オカン・キョセメン氏だけということになっている。

MNGはトルコで有数のカーゴ会社であり、何処の空港でもMNGのロゴマークが付いた飛行機をみる機会がある。何故、逃亡劇にこの会社が利用され、商務部長のキョセメン氏はベイルートまで同行したのか? そもそも、何故、関空からベイルートへダイレクトに飛行しなかったのか? この辺りが今後の焦点になるらしい。

ところで、シムシェク氏は記事の中で、2018年の6月にやはりアタテュルク空港で発生した国外逃亡事件に言及しながら、何の対策も講じていなかった当局を問い質しているけれど、こちらの逃亡劇では、コントラバスの箱じゃなくて「棺桶」が使われたそうだ。

当時のサバー紙の記事によると、逃亡したのはギュレン教団のメンバーであるファールク・バユンドゥル氏で、この人物は「2016年7月のクーデター事件」に関与して指名手配されると、トルコ国内に潜伏した後、2018年の6月に国外逃亡を図る。葬儀の文書を偽造し、棺桶の中に隠れてアタテュルク空港から北イラクのアルビールまで行き、そこから米国のマイアミへ渡り、現在もマイアミに居住しているという。

ゴーン氏も、このバユンドゥル氏に勝るとも劣らない悪党のようだが、次はレバノンで本物の棺桶が用意されてしまうような展開はないだろうか?