もしも、韓国語を学んだ欧米の人が、今の韓国のメディアから日本について知ろうとしたら、なかなか恐ろしげな日本のイメージが出来上がりそうだ。
欧米のメディア経由のトルコ情報は、これと似たようなものじゃないかと思う。
また、偏見によって初めから善悪を決めてかかり、左派であるとか右派であるとか、どちらか一方の立場の意見を聞くのであれば、現地で取材しても余り変わらないかもしれない。
トルコには、自国の不利益となる歪曲された情報を外国へ売り込んだジャーナリストも少なくなかったという。
日本では慰安婦の問題が、同様の歪曲情報によって燃え上がってしまった。虚偽の証言を調べもせずに伝えることが果たして「報道の自由」と言えるのだろうか?
ところで、最近、以下の記事を再掲載する際に、ふと思って、あの虚偽証言を報じた朝日新聞の記者の略歴を見たら、どうやら私と同じ時期に同じ延世大学語学堂で学んでいたようである。
私に取材を依頼した人も朝日新聞の記者だった。まさか同一人物だったのだろうか?
記者の方は、後で一度だけ、依頼を仲介した方に伴われて挨拶に来た。真面目そうな大人しい人で、決して悪い印象はなかった。
この記事を書いた時も、「一次情報源から取材したのか?」「官僚主義はなかったのか?」といった議論を読んで面白いと思い、26年前の出来事を振り返ってみただけで、私はその記者の方に何のわだかまりもなかった。
しかし、それから暫く経って、「何故、私に依頼したのだろう?」とまた考えたら、つまらないことが思い当たった。
当時、語学堂に日本から来ていた受講生は、在日韓国人と日本の企業の出向社員、フリージャーナリスト、あるいは雑誌の元編集者といった人が殆どだったのである。
出向社員やフリージャーナリストにそんな依頼は出来ないだろう。それで、何の心配も必要無さそうな私が選ばれた・・・。だからといって、特に腹も立たないけれど・・・。