メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコでいったい何が起こっていたのだろう?

旧ホームページに書いた数年前の駄文をこのブログで再掲載する作業を進めながら、トルコ関連の記事を読み返してみると、書いた当時は気づかなかったことに「おや?」と思ったり、「そういえばあれはどうなってしまったんだろう?」と考えさせられたりする。

 例えば、2013年の10月、ワシントンポスト紙のイグナシアス氏が、「2012年の初頭、トルコの諜報機関は、イランで活動しているイスラエルのスパイ10人の氏名をイランの諜報機関に通知した」と暴露したという話。

これは、2013年10月の段階でトルコの新聞に書かれていたことを伝えただけだが、2012年の2月には「トルコの諜報機関」に関わるもっと大きなニュースがトルコで話題になっていた。

トルコ国家情報局「MIT」のハーカン・フィダン長官が、オスロでPKKと秘密裡に交渉を進めていたとしてトルコ検察から出頭を命じられた事件である。

 この検察官はギュレン教団系であり、これをきっかけに「ギュレン教団エルドアンの対決」が始まったとされている。当時のエルドアン首相は、直ぐに「情報局長官の証言を得るには首相の認可が必要」という法案を作らせ、フィダン長官が拘束されるのを防いだという。

 その日、エルドアン首相はイスタンブールの病院で手術が予定されていたため、「予定が変更されていなければ歴史は変わっていただろう」と論じる識者もいた。

 この情報局長官が標的にされた事件とイグナシアス氏の暴露に何か関連性はないのかと、ネットで少し検索してみたものの、それらしい話は出て来なかった。

ギュル大統領がフィダン長官に「出頭」を勧めたという話は、ギュル氏側が否定したそうだけれど、ギュル氏とギュレン教団の関わりは今でも取り沙汰する人がいる。

 また、フィダン長官の前任者であるエムレ・タネル氏は、ディヤルバクル出身でクルド語に堪能というが、これも「クルド人ではないか」と取り沙汰する人がいる。

しかし、トルコでは「父方も母方も数世代にわたって同一言語を母語にしてきた」という人の方が珍しいだろうから、特定のエスニックルーツを詮索すること自体、無意味であるかもしれない。本人のアイデンティティがどうなっているかの問題だと思う。

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「IS」もいったいあれは何だったのか、今でも納得の行くような話が出て来ない。

トルコも「ISから石油を買っている」などと暫くの間、各国のメディアで叩かれていたけれど、2016年の末、CIAは「誤情報だった」として正式に謝罪したとトルコでは報じられていた。その後はどうなったのだろう?

2015年6月30日付けラディカル紙のコラムで、オラル・チャルシュラル氏が伝えたところによれば、イスラエルのエフード・バラク元首相は、“Russia Today TV”で、オクサナ・ボイコ氏のインタビューに答え、「ISに関して最も正しい、そして現実的な分析は、トルコが行なっている・・・問題解決のための先ず始めのアドレスはトルコである」と語ったそうだ。

チャルシュラル氏は、「『トルコはテロリスト』と主張する内外のメディアが、このバラクの発言を無視した」と非難している。

2017年4月に帰国して以来、トルコの報道はざっと眺めるぐらいの時間しか取れなくなってしまい、私は自分で書いた記事も忘れていたようだ。

今、思い返しても、2012~3年から、トルコでは何が何だか解らないようなことばかり起こっていた。

 

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